三蔵法師の翻訳チームはどのようなものだったか?

「三蔵法師」として有名な玄奘(602~664)は、唐の時代、16年かけてシルクロードを往復、天竺(現在のインド)から経典を持ち帰って、膨大な翻訳を行いました。

『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』によれば、帰国から19年間、寝る間を惜しんで、持ち帰った経典657部中、74部1,338巻の翻訳をしたと言われています。

では、それだけの翻訳量を玄奘一人で行ったのでしょうか?いえ、玄奘を中心とした大勢の翻訳スタッフがいたのです。その時の翻訳チームは以下のようなものでした。

全国から集めた人材を5班に分け、

1: 筆受(ひつじゅ) 約20~40名(推定)
  漢語の意味を確認しながら下訳していく役

2: 証義(しょうぎ) 12名
  筆受の翻訳に誤訳がないかを確認する役

3: 字学(じがく) 1名
  固有名詞などの原語に適当な漢字を当てて音写文字を決める役

4: 証梵語梵文(しょうぼんごぼんぶん) 1名
  翻訳された文章が原文と一致しているかをチェックする役

5: 綴文(ていぶん) 9名
  語句や文章を格調高く仕上げる役

の順で翻訳を進めました。現代の翻訳チームにも応用ができそうです。

因みに、『般若心経』も玄奘が翻訳したと言われており、彼の霊骨は現さいたま市(旧岩槻市)の慈恩寺、奈良市の薬師寺「玄奘三蔵院」に一部分骨されている。一度訪れてみたい!

 玄奘

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