私のする事に不服がありましたなら・・・

ご存知の通り、パナマ運河が出来上がる以前、大西洋から太平洋に航行する船はすべて南米大陸の先端を回っていました。大変な距離です。

そこで、パナマ運河を作ろうという気運が高まり、スエズ運河建設で名を上げたフランス人・レセップに白羽の矢が立てられました。自信満々の彼はパナマ運河の工事に着手します。しかし、2万人以上の人命と大金が犠牲になった上、工事途中で断念することになりました。

そこで、アメリカが引き継ぐこととなり、当時のルーズベルト大統領は軍人であるゴータルスに使命を託します。選ばれた理由は、もちろん専門技術と経験がベースではありますが、「面構え」と「自分が正しいと信じる時のたくましさ」がポイントだったといいます(笑)。

彼がこの難事業を引き受けたのは50歳のとき。その命令を受けた際のくだりはこうです。

人間が一度に何千と死んでゆく世界第一の不健康の土地に行け。そしてアメリカ大陸の背骨をなす山脈を横切って、長さ50マイルの運河を切り開け。深さは12メートル、幅は91メートル。お前の行く手には9マイルも続く岩山がある。そのどてっ腹をえぐり抜くのだ。

河は年中ところ嫌わずあふれ出すぞ。太平洋と大西洋とは、その海面が同じ高さではないぞ。それをあやつるために運河には50個の鉄門を作るのだ。その一つ一つは、どれも6階建のビルディングの重さだ。その扉は最大の軍艦を浮かべるだけの水を支えなければならぬ。

数千の労働者にはニグロもいればメキシコ人もいる、東洋人もいればアメリカ印度人もいる。イタリーやギリシャの男もいよう。それをしっかりと握って一致させ、一人の人間のように働かせるのだ。専門の技術者何百人も立派に指揮してゆけ。みんなの家族まで入れて数万の人間を、誰も彼も幸福にしてやれ。

さあ、行け。行って仕事にとりかかれ。

軍人がトップに来るということで、建設現場で働く人たちは皆、軍隊式にビシビシやられるのではないかと眉をひそめていました。ゴータルスは着任早々、

私のする事に不服がありましたなら、あるいはまた、何かご忠告下さることがありましたなら、いつ何時でも私に申し出ていただきたい。私は必ずその言葉を傾聴いたしましょう。そして私の意見も腹蔵なく申し上げましょう。肝心なのはお互いの了解です。私たちは人間同志のほんとうの了解を作りたいと思います。

と述べ、現場監督が労働者に手荒いことをしたり、乱暴な言動をすることを禁じました。そして見事、世界最大の難工事をやり遂げたのでした。

鞭ではなく、お互いの正しい理解が人間を仕事に駆り立ててこそ、その仕事は人間の誇りになります。

多くの人命が失われるのは何も戦争だけではありません。こうした工事も「戦争」。私達の生活や便利さも先人の労苦の上に成り立っているという事実に改めて思いを馳せたいと思います。

『パナマ運河物語』を再読して (現代仮名遣いに修正)

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