中世ペルシアの偉大な詩人、オマル・ハイヤーム(Omar Khayyam)。イランの八大詩人の一人にも数え上げられ、田舎の農夫でもその詩の一首や二首は知っているという。

Omar Khayyam (想像図かと・・)
彼の四行詩集『Rubaiyat ルバイヤート』は、1859年に英国の詩人エドワード・フィッツジェラルド(Edward Fitzgerald)がその価値を認め、翻訳し自費出版したものの、なかなか買い手がつかなくて一時は1ペニー(今日の為替換算では1.3円程度)の安値で古本屋に並んだという。

Edward Fitzgerald
が、その後、ラファエル前派の詩人ロゼッティ(Rossetti)とスウィンバーン(Swinburne)がその価値を認め、19世紀末から今世紀の初めにかけて、「オマル・ハイヤーム」ブームが欧米で起きた。

Rossetti Swinburne
そんなオマル・ハイヤームの『ルバイヤート』。以前から人名・書名だけは聞いたことがあったが、最近初めて読んだ。考えさせられる詩がいくつもあった。
ないものにも掌の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。
一滴の水だったものは海に注ぐ。
一握 の塵だったものは土にかえる。
この世に来てまた立ち去るお前の姿は
一匹の蠅――風とともに来て風とともに去る。
地の表にある一塊の土だっても、
かつては輝く日の面、星の額であったろう。
袖の上の埃を払うにも静かにしよう、
それとても花の乙女の変え姿よ。
禅問答風、老子風でもある。さらに、いくつか気に入った何首かを紹介する。中国の唐詩のようでもある・・・
おれは天国の住人なのか、それとも
地獄に落ちる身なのか、わからぬ。
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば、
この現物と引き替えに天国は君にやるよ。
この永遠の旅路を人はだた歩み去るばかり、
帰って来て謎をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。
あしたのことは誰にだってわからない。
あしたのことを考えるのは憂鬱なだけ。
気がたしかならこの一瞬を無駄にするな、
二度とかえらぬ命、だがもうのこりは少ない。
愛しい友よ、いつかまだ相会うことがあってくれ、
酌み交わす酒にはおれを偲んでくれ。
おれのいた座にもし盃がめぐって来たら、
地に傾けてその酒をおれに注いでくれ。
『ルバイヤート』はオマル・ハイヤームが晩年に書いた詩だろう。
老い先長くない運命を感じつつ、人生のはかなさ、人生の短さ、自分が生まれてきた意味などあったんだろうか・・・と悩む気持ちを素直に吐露しながら、だからこそ、今この一瞬を楽しみ、全てのものに愛おしさを感じ、この二度とない人生を精一杯謳歌せよ、と遠い昔のペルシアから呼びかけてくる気がする。
世界的視点を得るためにも、イラン文学史に燦然と輝く詩、一度は読んでみてください。おススメ度 ★★★★☆

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)