「タイ人が日本の古文書(くずし字)をAIで瞬時に解読」というニュースが素晴らしすぎて感動した w(゚o゚)w
「古典の解読は、専門家でも1ページあたり10分程度はかかります。このAIなら、1ページを1秒間ほどで解読できます」とのこと。破壊的!
少しだけ読めそうなので日本人にはそんな発想が生まれない。が、外国人の研究者にとって古文書を読むことは苦痛でしかないだろう。
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少しだけ読めそうなので日本人にはそんな発想が生まれない。が、外国人の研究者にとって古文書を読むことは苦痛でしかないだろう。
「福井の将来は絶対に明るい5つの理由」
というタイトルで、文化、歴史、海外ネットワーク、起業マインド、物流という5つの観点から、福井の未来について拙い意見を自由に述べてみた。
邪馬台国=越前説にも軽く触れたので(笑)機会があれば笑覧いただきたく。福井の将来は明るいよ! (^O^)/
『福井の幸福を語ろう』(東京若越クラブ/福井新聞社)
https://amzn.to/2N5f5kK
東京国立博物館・特別展「三国志」にて、関羽・劉備・諸葛亮に会ってきた。わずか約40年間の歴史にこれだけ輝かしいスポットライトが当たっているのは『三国志』のおかげ。吉川晃司の音声ガイドも良かった。NHK人形劇ファンとして感激した。
日本は邪馬台国の時代。誰か書いて遺してくれてたら日本もきっと面白い時代ではなかったかと(笑)
141年前の今日(4/16)、クラーク博士は見送ってくれた学生達を振り返りながら、声高く「Boys, be ambitious like this old man(諸君、大志を抱け、この老いぼれのように)」と叫んだらしい。映画「シェーン」の最終シーンみたいなかっこよさが目に浮かぶ(笑)
ご存知の通り、札幌農学校初代教頭となって植物学の教鞭をとった彼は、意外なことに、植物学者としては決して優秀ではなかったそうだ。しかし、「学問への興味を引き出す」ことがすばらしく上手だったと伝えられている。
私の小学生時代の恩師小森先生も同じように、学問の面白さを教えるのが上手だった。加えて、自分で考え自分の言葉で答えを言わないと鉄拳を飛ばすという非常に個性的な先生だった。私は小森先生のそういう考え方が好きで、非常に大きな影響を受けた。
私の机上にはクラーク博士の小さなミニ肖像が飾ってある(笑)。何歳になっても「大志を抱け」を胸に、また、二人の先生を見習って、自分の頭で考えること、好奇心・興味を引き出すのが上手な人間になれたらと思う。
幼い頃、左内公園(福井市)でよく遊んだ。すぐそばの保育園で育ったからだ。当時は「左内」が何を意味するのか、公園内の銅像が誰なのか、何も知らなかった。
「いずれ世界には国際連盟のようなものができる。その中心になるのは英か露だ。厳しい国際社会を日本が生き抜くには、開国をしてどちらかの国といずれ同盟を結ばねばならない」と、日英同盟や国際連盟設立の約60年前、江戸幕末期に明確に見通していたのはおそらく日本中でも橋本左内先生だけではあるまいか。改めて先生の偉大さを思う。
今回、母校・藤島高校の後輩達が、「コミック版日本の歴史・幕末維新偉人伝」に左内先生(先輩)を加えて寄贈するプロジェクトを成功させた。実に素晴らしくて感動!
「幕末維新偉人伝 橋本左内(コミック版日本の歴史)」
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中国における大ヒーローといえば岳飛。一方、岳飛を謀殺した秦檜は売国奴として900年たった今も蔑まされている。
浙江省杭州にある岳飛廟内にある秦檜夫婦の像(写真)は、つい最近までずっと棒でこづかれたり唾を吐きかけられていたらしい。
日本ではここまで永く人を恨むことがない。亡くなった人は皆仏様になるからだ。
しかし、中国では「悪」と認定されると、相当永く、否、未来永劫「悪」になる。
中国政府は日本との国交回復時に「日本の人民も中国の人民と同じく被害者で、悪いのは戦犯になった奴らだ」ということで中国国民を説得した。中国国民からすると、なんだか完全には腹に落ちないが、軍国主義者たちが悪かったということなら・・・と納得した経緯がある。
そういう意味で、日本というより、日本の軍国主義と軍国主義者(特にA級戦犯者)は中国における「秦檜」になった。つまり未来永劫「悪」ということだ。
正しいか正しくないかの問題ではなく、中国人はそのように考えるということを日本人は理解する必要がある。逆も然り。日本人はこう考えるということを中国人は理解する必要がある。考え方が違うということをお互いが知ることが大切なのだ。
が、道のりは遠い・・・
観了。男性視点の映画です。女性は怒るかも(苦笑)。
最後、どうやって脈を止めるのか・・といった細部の疑問は脇において、バカ殿にどう仕えるか・・・古今東西、永遠のテーマ。
自分も刺されないようにしないと(爆)
今日2月14日は重要な日です。日本男児なら・・・わかりますね。
そうです!
平将門公が亡くなった日です (爆)
バレンタインデーなんぞではありません。家族からもらえないなどと嘆いている日ではないんです(泣笑)
日本史に燦然と輝く革命家の逝去日なんです。
ということで、今日は将門公の話しにします (爆)
平安時代、朝廷は、国司(中央政府が任じる県知事みたいなもの)に対し、その土地の行政を任せるかわりに、貢物を京に送ることを求めるようになりました。
そこに、出世欲と贈収賄も絡み、収入を増やすことに執心する国司が現れ、過酷な取立てが各地で行われるようになりました。
日本史の教科書等で必ず登場する古文書「尾張国郡司百姓等解文」では圧政で悪名高い藤原元命(もとなが)が郡司や農民から朝廷に訴えられています。
そんな時代背景の中、関東で大人気だったのが平将門公。
将門記や海音寺潮五郎さんの小説では、権威主義を嫌い、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る正義感あふれる人として描かれています。
困っている大衆に愛され頼られ、やむにやまれず国府を占領、腐った中央政府から独立した国を作ろうとした革命家。
NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」(1976年放映)を観ると、深く共感するところ多々あります。家人の名前も同じでしたし・・(笑)
このドラマでは、独立国家はこのように作られるのか、ということも理解できます。
英国本国の徴税権から離脱をかけたアメリカ合衆国独立戦争も基本的にはこのようなものではなかったでしょうか。
平清盛もいいですが、独立国を作りたくなったら(笑)平将門に学びましょう。
ちなみに、上記ドラマは合計52話。前半少々退屈です(苦笑)。特に最初4、5話は飛ばしてもいいかと思います、というか、飛ばしたほうがいいです。後半になればなるほど面白くなってきます。
珍しく吉永小百合さんが汚れ役で登場!最近お亡くなりになった緒形拳さん、峰岸徹さん、大岡越前の大岡忠相役・加藤剛さん、徳川吉宗役・山口崇さん、水戸黄門の黄門役(第2代)・西村晃さん、(第3代)・佐野浅夫さんも登場しています。
日本人は、永い歴史の中で、海外の先進的な考え・事例・方法・スキルに関する情報を入手し、それを一生懸命読んで理解し咀嚼し活用してきました。
日本と日本企業が今日のようなめざましい成長を遂げたのは、先人から受け継いできた天性の好奇心とすぐれた情報収集能力のおかげだといっていいでしょう。
日本の歴史上、最大の輸入物は文献なのです。その意味で「情報こそ国家なり」と言うべきです。
日本と日本企業にとって質の良い情報ほど重要なものはありません。これからの日本と日本企業が成長発展するためには、さらなる情報収集能力の向上こそ最重要課題だといって過言ではありません。
したがって、良質の情報(特に海外情報)をいかに効率的に獲得するかという技術・ノウハウは、国を支えるバックボーンであり、情報収集にかかわる人はもちろん、ビジネスマン・学生を問わずすべての人にとって必修科目だといっていいでしょう。
今日は幕末の橋本左内先生のご逝去日。毎年10月7日には、現在でも左内公園(福井市左内町)で多くの市民が参列して墓前祭が行われています。
私が幼い頃この左内公園そばの西光寺保育所に通っていたこと、橋本先生の恩師でもあり福井随一の儒学者・吉田東篁先生の墓に私の先祖の墓が近いこと、事業を始めたのが橋本先生の学んだ大阪・適塾近くということもあり、私にとって橋本左内先生は特別な偉人になっています。
さて、改めて、幕末好きの方には釈迦に説法かと思いますが、橋本左内先生とは安政の大獄(1859年)で刑死した越前藩の志士です。
日英同盟、国際連盟設立の50~60年前に、「いずれ世界には国際連盟のようなものができる。その中心になるのは英か露。厳しい国際社会を日本が生き抜くには、開国をして、どちらかの国といずれ同盟を結ばねばならない」という当時としては卓越した見識の下、松平春嶽公とともに開国に向けて駆け抜けた生涯でした。
西郷隆盛をして7歳年下の先生を「友として最も尊敬する」と言わしめ、緒方洪庵をして「橋本はいつかわが適塾の名前を高めるであろう」と絶賛、川路聖謨をして「一生の間多くの人に会ったが、これほど優れた人物はまだ見たことがない」、水野筑前守をして「橋本左内を殺したことで、幕府は滅んだのだ」と言わしめた幕末の横綱級ヒーローだと思っています(笑)。
今日は、先生が少年の頃に書き留めた「啓発録」をお薦めします。
内容は
・「幼稚な心を捨てる」
・「気を奮い起こす」
・「志を立てる」
・「優れた人々の善事善行にならう」
・「友達をえらぶ」
の五か条からなっていて、少年の気高い志を感じます。
さらに、「学」の本当の意味とは、家庭や学校や職場で、周囲の人々に真心と愛情をもって付き合い、自分のしなければならない仕事には誠実に立ち向かって、全力を尽くす気構えを持つことだと。
はたして私はできているだろうか・・・命日を迎え、改めて先生の純真な志を刻んでおきたいと思います。
を読了。まさに日本版ダヴィンチコード! 個人的にはダヴィンチコードより数段面白い。
種明かしをしたくてしたくて仕方ないが(笑)、要は明治天皇にまつわるミステリーだ。
日本史好きなら絶対読んで損なし!読み始めたら絶対止まらない (キッパリ)
おススメ度 ★★★★★
先日福井に関係のある人たちが集まった会合で、ご先祖がドイツの医師シーボルトさんという関口忠相さんにお目にかかりました。今でもご親族はドイツにいて、飛行船で有名なツェッペリン家もご親戚にあたるとか。
歴史好きな私にとって、シーボルトさんはまさに明治維新が生まれる源流。江戸後期、ドイツ医学界の名門・シーボルト家のフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)さんが、東洋に興味があって、長崎・出島までやってきます。ドイツ人なのにオランダ人だと言って(笑)オランダ商館で医者を務めるんです。
すると、日本中の志ある有能な人たちが、遠路はるばる医学と蘭学を学びにシーボルトさんの下に集まります。そして、そうした人たちが世界的な視点を得て、また日本の各地に戻り、日本の行く末を議論し始めるんです。それが、幕末の人たちに影響を与え、明治維新とつながっていきます。
WIPジャパンの東京オフィス(平河町)すぐ近くに高野長英の蘭学塾跡があります。高野長英さんもシーボルトさんの教えを受け、江戸で尚歯会という勉強会を作って海外の優れたことを学びあうんです。こうしたシーボルトさんのお弟子さんたちが日本を目覚めさせ、明治維新につながる土台を築いていったんですね。
幕末、京都の治安維持を担っていたのは「会津藩」という名の大企業でしたが、京都郊外・伏見で新しい警備会社が生まれました。その名は「新撰組」。
新撰組は当時の失業者を積極的に採用しましたが、中途採用ばかりでしたので、労務管理が大変でした。そこで新撰組の土方部長は「局中法度」という厳しい就業規則を作って社員を管理しました。その就業規則には・・・
1. 武士道に背かないこと
2. 退社は許されないこと
3. 許可なく借金しないこと
4. 社員同士で喧嘩をしないこと
5. 外部からクレームをもらっても勝手に判断しないこと
以上。 守らない奴はしばきあげる!
とありました。社員たちは震え上がりました。退社する者や逃げる者もいました。土方部長は逃げた奴を徹底的に探し出し、見つけてはしばきあげました。
この厳しい掟を知って町中の人は、新撰組という新興警備会社は恐ろしいところだ、逆らってはいけないと思い始めました。そしてドンドンと有名になっていきました・・・とさ。