新元号が決まった。中国はとうの昔に使わなくなったので、世界で日本だけの制度になった。このユニークさは実に貴重だ。永遠に存続すべきと願う。
ただ通訳者泣かせであることは間違いない。海外に行って「昭和47年にわが社は設立され・・・」と気遣いのない人がスピーチしたりすると、通訳者は大慌てで西暦換算を頭の中で行わなければならない。
元号のユニークさを大切にしつつ、日本だけの制度であることを国際派日本人は念頭においてスピーチしてほしいと、同時に願う(笑)
面白い。だが、池波翁の美意識をそのまま飲み込んだ25歳頃と読後感が違う。私の意見と少し違うかな、と思える箇所が生まれたということだ。
100%、翁に合わせる必要はない。美意識の基準は一つではなく、自分なりの「かっこ良さ」「かっこ悪さ」の基準を持つことが大事だと思う年になったということに気付く読後だった。
もちろん未読の男性には一読を勧めたい。
みなさん、新年あけましておめでとうございます。今年は戌年ですね。
さて、カーネギー著「人を動かす」の「人に好かれる原則」の最初に登場するのは犬。番犬などもいますが、多くの犬は人間に愛情を示すだけで食べていく動物です。ニワトリは卵を産むし、牛は牛乳を出す。しかし犬は尻尾を振って夢中になって人に好意と関心を示すだけで生きていきます。これって凄くないですか!?私たちは働かないと食べていけませんが、犬は仕事をせずとも尻尾を振って喜ぶだけで食べていけるんです(笑)
そんな犬に倣って、出会う人一人ひとり、どんな人でどんなお役目と問題意識を持っているのか、今年はより一層、関心を寄せる年にしたいと思います。
そして、私は「越(こし)」の国の出身。「越(こし)」とは越前・越中・越後を指します。能登や加賀が入ってない?大昔の能登・加賀は越前だったんです。それに因んで「越(こえる)」という字を今年は掲げます。
「越(こえる)」という字は「走る戌」と書きます。犬に倣ってもっと早く走っていきたく。会社も個人も色んな壁にあたりますが、今年一年、健康に気をつけて、一緒に色んな壁を越えていきましょう!
「正確に話すこと」と「わかりやすく話すこと」はなかなか両立しない。宗教関連の本を読むたび、そう思う。宗教に携わる人はいい加減なことは言いたくない、真面目な人ほどなるべく正確に話そうとする。しかし、そうすればするほど、わかりにくくなる。
当時、浄土宗・浄土真宗が画期的だったのは、誰だって死ぬのは怖い、でも「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽に行けますよ、なぜなら、仏さま(阿弥陀仏)は悪い人も含めてすべての人を幸せにしてあげよう、極楽に行かせてあげようとされているんだから、自力で幸せになろう、極楽に行こうというこざかしい考えは捨てて、仏さまの大きな力に身を任せればいいんです。それには「南無阿弥陀仏」という言葉だけでOK。万巻のお経を凝縮すると結局この「南無阿弥陀仏」の6文字になるんですから。ちなみに、阿弥陀仏はお釈迦様の大先生。大宇宙の一番の先生ですよ、と大衆にわかりやすく伝えたことだと思う。
本書は比較的わかりやすい書籍だと思うが、理解できない部分も多く、おかげで真宗を考える良いきっかけに。上記は本書のまとめではない。正確ではないかもしれないが、真宗を短く言うとこういうことかなと自分用にメモ。感謝。南無。
昨晩、高校後輩のお店「銀座小料理屋・龍」で、同じく高校同期の西出君が飲ませてくれた、我が母校・岡保小学校区100%産の日本酒「岡の泉」。
我が実家近くの有名な湧き水と、コシヒカリ発祥の地である福井県農業試験場を抱える同校区で育った本家「コシヒカリ」が、舟木酒造さんの手によって実に味わい深い最高の純米吟醸に生まれ変わっている。
ふるさとの酒にむかいて 言ふことなし ふるさとの酒はありがたきかな
感動・・・
あとは友田晶子さんの解説を読んでいただきたく・・
http://allabout.co.jp/gm/gc/225316/
岡保まちづくり委員会のページと併せて
http://www.okabo-daisuki.com/cat9/000085.html
銀座小料理屋・龍(食べログ)も一緒に
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13166758/
西洋画の歴史は、誤解を恐れずに一言でいうと、「写実的、キリストと人の裸の2本柱」と言っていい。禁欲と解放の戦いとも言っていいだろう。
しかし、その次元から離れた男がいた。絵の対象として、「人」ではなく「自然」を選んだ男。崇高な自然の風景にこそ美があると初めて風景画に本格参戦した男。
彼こそ、英国・ロンドンに生まれた床屋の息子、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner)だ。(自画像)
裸とキリストのオンパレードである西洋絵画に食傷気味だった私は、1989年、ロンドンで初めてターナーの絵を観て鳥肌が立った。
「これ、これだよ、美しいのは・・・」
荒々しい海、迫りくる嵐、生命力を感じさせる雲、虹が立つ山麓、座礁した船、地平線まで見渡せそうな丘、雪崩に襲われる小屋、こうした風景を観ていると、自然の「生命力」、そして偉大さと怖さと崇高さが観る者に迫ってくる・・・と同時に無常さも伝わってくる。
彼が東洋の水墨画を観たかどうかは知らない。しかし、西洋画と東洋画が融合するとこうなる、という絵画の新境地がここにある、と思った。
I know of no genius but the genius of hard work.
「天才なんてものは知らない。ハードワークの天才なら知っている。」という彼の言葉が残っている。
その証拠に、彼は膨大な数のスケッチや絵を遺した。
そんなターナーの絵が東京にやってきたので「再会」してきた(笑)。
初めて観た時の感動に比較すると、少し薄らいでしまったのは事実だが、やはり死ぬまでに一度は観るべき画家だと心底思う。
ターナー展
“2013年秋、英国最高の巨匠、待望の大回顧展”
http://www.turner2013-14.jp
2013年10月8日(火)~12月18日(水) 東京都美術館
2014年1月11日(土)~4月6日(日) 神戸市立博物館
因みに、夏目漱石「坊ちゃん」に登場する台詞がこちら。彼もロンドン留学中にターナーのこの絵を観たと思われる。
「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。
以上、私も「心得顔」に述べさせていただきました。
今日は橋本左内先生のご命日。安政の大獄の際、小塚原回向院(東京都荒川区)にて斬首となり露となられた日だ。
私が幼い頃に通っていた西光寺保育園(福井市)は橋本左内先生の銅像と墓所が見守る公園で運動会を催していた。そんなご縁もあって「先生」をつけないとどうも落ち着かない。
その橋本左内先生が15歳の時に書かれた「啓発録」。幼稚な心を捨て去ろうと自己に向けた宣言書ともいうべきもの。私も若い頃この書籍を読んだ(否、読まされた・・笑)。明治期以降、福井の多くの若者を鼓舞してきた本だ。
以前お世話になっていた石川洋先生がその啓発録を題材に執筆してくださった「君よ、志を持って生きてみないか」と併せて改めて推薦したい。
最近話題に挙がるSNEP。「Solitary Non-Employed Persons」の略らしい。
「孤立無業者」と訳され、2006年時点で約112万人、2011年時点で162万人。20~59歳の未婚で無就業(学生以外)で孤立している人(家族のみ一緒)の意味らしい。
その後もおそらく増えているだろう。年間10万人ずつ増加だとすると、2013年の現時点で約180万人。国民約70人のうち一人がSNEPということになる・・・(悲)
話は一転。世界には今でも悪魔払いをする呪術師(シャーマン)がいるが、例えばスリランカの悪魔祓いの儀式では、無気力になり仕事に行きたくない男性、登校拒否の少年、原因不明の病の人など色々な症状の人に対し、呪術師(シャーマン)が徹夜で大々的なパフォーマンスを施す。
親戚や近所の人たちでごった返す中、最初は太鼓から始まり、夜明けころには漫才でみんなが大笑いをするような状態になる。そしていつの間にか患者も笑い体調が良くなっているという。
シャーマンは「悪魔は孤独な人間に訪れる」と言う。今の世の中、孤独な人で溢れている。人と人のつながりこそが生命の活力源だということを私たちはもっと意識する必要がありそうだ。
8月に訪れたフィレンツェ・ウフィツィ美術館。私のメインターゲットはやはり「プリマヴェーラ」。これを見ないと帰れない。
思ったより大きい。横3メートル・縦2メートルぐらい。描かれている人物もほぼ等身大。メディチ家の結婚記念のために描かれた説があるが、確かにどう考えても、大金持ちのパトロンから注文をもらわないと、こんな時間のかかりそうな大きな絵は描かないだろう。
つまり、そもそも庶民に見せるために描いた絵ではなく、パトロンとその家族や友人たちにウケそうな絵にしているに違いない。そして描かれているのは、そういった当時実在していたパトロンの周りの人達ではないかと思った。
画家ボッティチェッリの作品。ボッティチェッロ(小さい樽の意)が彼の名前の由来らしいから、相当飲み食いもさせられていたかもしれない(笑)
現代の人達がそんな内輪向けの絵を目をキラキラさせて観てるのも面白いし、そういう私も同じだなぁと思って愉快だった(笑)
最近、友人知人のご家族が相次いで亡くなり、「死」について考えさせられています。
同著者は宗教家ではありません。東大医学部の先生として、臨床医として、多くの生死に間近に接してきて、科学的には説明が付かない数多くの不思議な体験談を通じて、「魂」というものについて考察しています。
不思議です。同著を読んでいると、「魂」というものが肉体という着ぐるみを着ているのかもしれない、ゆえに、肉体の死はあっても、魂は死なない、という気がしてきます。
幕末の貢献度は横綱級なのになぜか人気が上がらない春嶽公。著者の中島道子さんは「生真面目すぎるからではないか」と評価されてました。
そんな中島さんは八十数歳。すばらしい女性です。「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。」というウルマンの詩がぴったり。元気で長生きしてくださいね。一緒にお寿司を食べた、実に楽しい日曜日でした!
個人的には刺さらなかったが、基本的なことが述べられている。
確かに、いくら名刺を集めても意味がない。同じ価値観を共有でき、お互いが持っている強みを活かせる人脈のみに絞るべきでしょう。
ただ、自分が持つ価値観とあまりに違う人からも学べることがあるのは当然。大量の人に会うことも、一度は通ってみていい道かと思います。
つまり、つきあいを広げ、その後つきあいを絞る。そしてまたつきあいを広げ、その後つきあいを絞る。
国も人も開国と鎖国を繰り返すのが実は一番熟成すると思っています。
佐藤誠さんに勧められて読了。故人亡き後、太平洋戦争で大敗した山本五十六が悲劇のヒーロー、日本海海戦で大勝した東郷平八郎が悪役、そんな聯合艦隊司令長官2名に対する世間の評価に真っ向から反論している。
どの分野でも、現役が長かったり、長生きしたりすると評価が下るのは世の常。史実と推測が交差しているが、東郷さん率いる司令部のチームワークを改めて再評価させられる本。戦前の日本海軍に興味のある方に。
英国留学時代、戦中間期の日英外交史が論文テーマで、その際日本海軍について結構勉強したつもりでしたが、山本五十六のみならず、南雲忠一、山口多聞に関するイメージが大きく変わりました。
なお、「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」という金言が登場するのかと思いきや登場せず。残念。
1912年ノーベル生理学医学賞受賞者・アレクシス・カレル(Alexis Carrel)博士曰く、
土壌こそ人間生活全般の基礎であり、あらゆる農産物は、土壌中のミネラルを人間の体内に運ぶ偉大な仲介者である。したがって、人間の健康は肥沃で生産力のある土壌からしか生まれない。病気のほとんどは、空気や水や食物の中に存在しているミネラル類の不足によって生じる。
化学肥料は土壌に働きかけるのではなく、植物に無理やり吸収されるように造られており、植物と土壌の両方を毒してしまう。化学肥料では土壌の肥沃度を回復させることができない。
化学肥料を施された植物は見た目には青々としているかもしれないが、青々とした生長は水っぽい組織を生み出す。今日の食品は、自然性を奪われ、着色、加熱、漂白、保存加工によって、ビタミンや酵素などのもっとも貴重な要素が取り除かれる。
牛乳の低温殺菌は栄養摂取に不可欠な酵素を殺し、バクテリアの腐敗した死骸だけを残し、白いパンは人工的にミネラルやビタミンを強化されているが、生命の維持に必要な栄養素を含んでいる胚芽は取り除かれている。
年配の人なら誰でも、最近のパン、果物、野菜、食肉は昔のものとは全く似ても似つかないほど変わってしまったことを知っている。作物収穫高は数倍になったが、栄養面ではどんどん低下し、まるで蝋人形館の人形のような生命のないものばかりになっていると。
カリフォルニア大医学部准教授・ジョセフ・D・ワイスマン博士曰く、
たいていの医者は食物のことはあまり勉強しない。医学校において食物関係の授業が極めて少ないからだ。昨今の死に至る病気の多くはここ100年以内に出現したものであり、明らかに有毒な化学製品、つまり塩素とその化合物、コールタール派生物、調合された薬品、石油化学製品等によって発現してきたのである。
100年前には、心筋梗塞や心不全といった冠動脈系の心臓病は事実上知られていなかった。癌の死亡率は100年前はわずか1%だった。糖尿病はかつて米国で0.002%だったが、今は5%となっていると。
福井の林さんに勧められて読了。上記は序論で述べられている一節に過ぎない。土壌というものをほとんど深く考えてこなかった自分に気づかされる。
土壌こそ根本中の根本。あらゆる食物は土壌のミネラルと養分を人間の体内に運ぶ媒介だ。土壌と人間の本質的な関係を再評価する極めて良いきっかけとなった。前半がおすすめ。