Crowd of fans in blue jerseys celebrating at a busy Tokyo intersection at night.

W杯:渋谷のスクランブル交差点でハイタッチする理由

「ワールドカップ」熱狂の裏側に何があるのか?
文化人類学の視点から

普段の満員電車を思い出してほしい。隣の人と肩が少し触れただけでも、「チッ」と舌打ちが聞こえてきそうな、冷たくピリピリとした空気がある。

日本社会は、会社や学校といった同じ「場」を共有する身内、すなわち「ウチ」には優しい反面、見知らぬ人、すなわち「ヨソ者」に対しては非常に排他的で冷たい傾向がある。

ところが、ワールドカップで日本代表が歴史的勝利を収めた時はどうだろう。渋谷のスクランブル交差点には青いユニフォームを着た人々が殺到し、普段なら絶対に目を合わせないような若者、サラリーマン、ギャル、外国人までもが、満面の笑みで見知らぬ者同士ハイタッチをし、抱き合っている。

この「魔法のような現象」は、単なるお祭り騒ぎや若者の悪ノリなのだろうか。そうではない。文化人類学の視点から見ると、これは現代人が無意識に行っている「巨大な儀礼」であることが見えてくる。

日常を脱ぎ捨てる「3つのステップ」

人類学者ファン・ヘネップは、世界中のさまざまな儀礼、たとえば成人式や結婚式などを分析し、それらが〈分離〉〈過渡〉〈統合〉という3つの局面から成り立っていることを見出した。実は、渋谷での熱狂もこのプロセスに見事に重ね合わせることができる。

① 〈分離〉:青いユニフォームは「変身アイテム」

最初の〈分離〉とは、日常から切り離される段階である。試合当日、トイレでこっそりスーツを脱ぎ、日本代表のユニフォームに着替え、頬に日の丸のフェイスペイントをした瞬間、人はどうなるか。その人は「〇〇会社の課長」や「〇〇大学の学生」といった日常の肩書きから切り離される。あの青いユニフォームは、日常のしがらみを脱ぎ捨てるための「儀礼の衣装」なのである。

② 〈過渡〉:地位が消滅する「空白地帯」

次にやってくるのが〈過渡〉の局面である。人類学者ヴィクター・ターナーは、この「日常から切り離された、どっちつかずの境界状態」を「リミナリティ(境界状況)」と呼んだ。試合終了のホイッスルとともに、スクランブル交差点という巨大な「リミナリティ空間」が現出する。そこは、「赤信号で止まる」「他人にむやみに話しかけない」といった日常のルールが一時的に無効化される、特別な空間である。

究極の連帯感「コミュニタス」の爆発

このリミナリティ空間で何が起きるのか。ターナーによれば、この状態に置かれた人々からは、あらゆる地位や身分が剥ぎ取られ、そこに「絶対的な平等意識」や「仲間意識」が生まれる。ターナーはこれを「コミュニタス」と名付けた。

これこそが、ハイタッチの正体である。普段は「ウチ」と「ヨソ」を厳格に分ける私たちも、青いユニフォームという「共通の象徴」を身にまとい、スクランブル交差点という非日常空間に放り込まれた瞬間、そこにいる数千人の「ヨソ者」を、すべて「日本代表を応援する仲間」、すなわち「ウチ」へと反転させる。

そこには上司も部下も、金持ちも貧乏もない。日常の息苦しい属性から解放された究極の「コミュニタス(連帯感)」の中で、私たちは嬉しくてたまらず、見知らぬ誰かにハイタッチを求めてしまうのである。

③ 〈統合〉:祭りのあと、再び日常へ

そして、儀礼の最後は〈統合〉である。夜が明け、始発の電車に乗る頃にはフェイスペイントを洗い落とし、再びスーツや私服に着替えて、人々はそれぞれの「日常の秩序」へと帰っていく。

ワールドカップは「ガス抜き」装置

文化人類学の視点から見れば、渋谷のスクランブル交差点は、地位や肩書き、見えない同調圧力に縛られて生きる現代人が、すべてを忘れて「コミュニタス」の熱狂に浸るための、壮大な「ガス抜きの場」といえる。

次にワールドカップでハイタッチのニュースを見かけたら、「現代の儀礼が機能し、強烈なコミュニタスが発生しているのだ」と考えてみるとよい。少しだけ、世界の見え方が変わるはず(笑)

人々の常識をひっくり返した男、レヴィ=ストロース

フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースらが提唱し、当時の世界にものすごい衝撃を与えた考え方がある。一言で言うと、「世の中のいろいろなことの裏に隠れている『見えないルール(構造)』を見つけ出そう」という考え方である。いわゆる「構造主義」だ。

私たちは「見えないルール」に動かされている

たとえば、私たちが普段日本語を話すとき、「ここは主語だから『が』をつけて、次は動詞で…」なんていちいち文法(ルール)を意識していない。でも、無意識のうちに全員が同じルールに従っているからこそ、会話が成り立つ。

レヴィ=ストロースは、こうした「言語のルール」を研究する学問(構造言語学)にヒントを得て、「人間の社会や文化も、言葉の文法と同じように、みんなが気づいていない『無意識のルール(構造)』で動いているんじゃないか?」と考えた。

アマゾンの奥地で見つけた「驚きのルール」

彼は実際にアマゾンの奥地に行き、さまざまな原住民の生活を観察した。一見すると、彼らの生活や風習は、近代的な西洋の人間からすれば「野蛮」で「めちゃくちゃ」に見えた。

しかし、レヴィ=ストロースが彼らの文化の「奥底」をじっくり分析すると、そこには驚くべき事実があった。

たとえば、カドゥヴェオ族という部族の女性たちは、顔に複雑で迷宮のような幾何学模様を描く。一見バラバラで適当に描いているように見えるが、実はトランプの絵札のように、ものすごく計算された「対称性(バランス)」のルールに従って描かれていたのだ。また、神話や結婚のやり方などにも、まるで数学のようにきっちりとした複雑なルールが隠されていることを突き止めた。

表面上はバラバラで意味不明に見える現象の奥底には、実は「美しい法則(構造)」が隠されているのだ。

なぜ構造主義は「常識をひっくり返した」のか?

この構造主義という考え方は、主に2つの点で、当時の人々の常識をひっくり返した。

① 「人間って、本当に自由なの?」という衝撃

当時のヨーロッパでは、「人間は自分の意思で自由に考え、自分で歴史を作っていく生き物だ(実存主義)」と信じられていた。しかし構造主義は、「いやいや、人間は自分で自由に考えているつもりでも、実は自分では気づいていない『社会の見えないルール(構造)』のうえで踊らされているだけかもしれないよ」と突きつけたのだ。これは当時の知識人たちに大きなショックを与えた。

② 「西洋が一番えらい」という思い込みをぶっ壊した

それまでは、「西洋の近代文明が進んでいて、アマゾンなどの原住民は遅れた未開の人たちだ」という偏見が当たり前だった。しかし構造主義は、「一見遅れているように見える部族の文化にも、西洋文明と同じくらい高度で複雑な『見えないルール(構造)』がしっかり存在している」ことを証明した。 つまり、「どの文化が上か下かなんてない。見た目が違うだけで、人間の頭の中にある『構造』はみんな同じなんだ」ということを明らかにしたわけだ。

このメガネをかけて世界を見ると、「自分たちと違う変な人たち」と思えた相手の中にも、自分たちと同じような「隠れたルール」があることに気づき、世界をよりフラットに、深く理解できるようになるのだ。

ブラジルの奥地に「人間の最も感動的な愛」を見つけた

ブラジルの奥地に住むナンビクワラ族。彼らは服も家もなく、極限まで貧しい生活を送っている。それでも、家族で寄り添い、笑い合い、愛情深く生きている。夜になると、家族は焚き火の周りに裸で寄り添って身を寄せ合い、夫婦はお互いを労わりながらシラミを取り合ったり、冗談を言って笑い合ったりしている。また、子どもに対しては怒ったり罰を与えたりすることはめったになく、非常に深い愛情を注いで大切に育てている。

彼はそこに「人間の最も感動的な愛」を見た。 物質的な豊かさがなくても、人間の根底には確かな愛がある。その事実を知ることが、深い慰めと静かな幸福を与えてくれる。

『悲しき熱帯』 お時間あるときに読んでみてください。

Black king, white queen, and white knight chess pieces on an old wooden chessboard

地政学園のクラスメイト:イラン君・アメリカ君・イスラエル君の泥沼大喧嘩

連日ニュースを騒がせる、地政学園のクラスメイト、アメリカ君イスラエル君、そしてイラン君の三つどもえの大喧嘩。メディアは単なる「不良の小競り合い」のように報じるが、事の本質はもっと複雑にねじれている。

彼らの話し合いが成立しないのには、それぞれの「家庭の事情」と「歴史のトラウマ」があるからだ。

イラン君の「現実離れした世界観」と「家庭内暴力」

まず、イラン君のキャラクターの特異性を知る必要がある。彼はクラスで唯一、「いつか僕の家の本当のカリスマ(隠れイマーム)が帰ってきて、この学園のルールを全部ひっくり返して世界を救う」という、極めて神話的な教えをガチで信じている。

彼にとって、今のクラスのルール(国際法)などは、カリスマが戻るまでの「ただの仮の姿」にすぎない。この超現実主義的な世界観が、彼を国際社会のルールから遊離させ、クラスで孤立させる一因となっている。

さらに深刻なのは、今のイラン君の「家庭内(支配層)」の腐敗だ。 1979年の革命のときは、「アメリカ君の押し付けがましい西欧化ルールは嫌だ!」という純粋なイスラムへの回帰(反抗期)だった。しかし現在、家を仕切っている祖父たちは政治や軍事の力と結びつき、すっかり強固な既得権益層と化している。

とりわけタチが悪いのは、彼の家でボディーガードを務めている「革命防衛隊」という名の兄弟だ。こいつらが家庭の経済や中枢を牛耳り、まるで戦前の日本君のように「軍が政府の言うことを聞かない(シビリアンコントロール崩壊)」状態に陥っている。

彼らは、ひたすら「アメリカ君を絶対倒す!」「イスラエル君なんかこのクラスから消え失せて滅びろ!」と強硬に言い続けてきた。その一方で、一瞬で相手を消し去りうる究極の凶器「特大爆竹(核兵器)」の開発に執着している。

相手の存在すら認めない一方で、その相手を一瞬で消せる最終兵器を手にしようとする。これではイスラエル君からすれば危なくて仕方がなく、最初から対話の余地など成立しない。

「人間の盾」を使う、汚いストリートファイト

この政府の統制を離れて暴走する兄弟たち(革命防衛隊)は、長年にわたりクラスのあちこちにいるヒズボラ君などの武装組織にお小遣いや武器を渡し、中東全域に代理戦争の火種をまき散らしている。

加えて、その抵抗のあり方そのものにも、厳しい目を向けねばならない。ハマス君たちに見られるように、学校の保健室(病院)や図書室(学校)の地下に隠れ、関係のない一般の生徒たちを文字通りの「人間の盾」にして戦いを続けるやり方は、卑劣な振る舞いと言うほかない。自らの正当性を主張するのであれば、罪のない生徒たちの命を巻き添えにする汚い手段は、即刻改めるべきだ。

本来、イラン君の家の教え(イスラム教)は、ユダヤ教やキリスト教の生徒たちを「同じ啓典を持つ仲間」として尊重し、多様な他者との共生を認める宗教であるはずだ。軍部が暴走し、他国への破壊的な干渉を続ける今の姿は、本来の寛容な教えから逸脱した、極めて危険な状態と言える。

アメリカ君とイスラエル君の「十字軍コンプレックス」

一方で、殴っているイスラエル君アメリカ君の側にも大きな非がある。アメリカ君の強力な支援を背景に、イスラエル君が教室(パレスチナ)で強引に振る舞い抑圧を続ける姿は、イスラム系の生徒たちに、中世にヨーロッパの先輩たちに家をめちゃくちゃにされた記憶(十字軍コンプレックス)をまざまざと蘇らせた。

アメリカ君による一方的なイスラエル偏重と武力行使が、イラン君の反発をさらに煽る結果になっているのだ。

結び:三者が机を並べて笑える日は来るか?

この泥沼の喧嘩を終わらせ、未来に平和をもたらすカギはどこにあるのか。

それは、まずイラン君が現実離れした教条主義を見直し、暴走する軍(革命防衛隊)の統制を取り戻して、本来の「共生」の精神に立ち返ることだ。相手の存在を認めた上で、核という最終手段への依存を断ち、市民を盾にするような戦い方とも決別しなければならない。

同時に、アメリカ君イスラエル君も力による抑圧を諦め、歴史的痛みに向き合う必要がある。双方が排他的な強硬姿勢を捨て、現実的な対話へと踏み出すことこそが、中東に真の安定をもたらす唯一の道である。

……もしそれができないのであれば、残された道は一つしかない。

お互いがヘトヘトになるまでトコトンやり合い、数え切れないほどの人が痛い目を見ることで、「喧嘩はもうこりごりだ」と身をもって学ぶ。残念ながら、それしかない。

Cup of coffee with frothy top on wooden table next to grass-fed ghee container and a spoon

「完全無欠ダイエット」とは何か? IT起業家が約5千万円かけて自らの体をハックして生み出した究極の食事法

「完全無欠(Bulletproof)ダイエット」をご存知だろうか。 これは、シリコンバレーのIT起業家であるデイヴ・アスプリー氏が、30万ドル(約5千万円)以上の私財を投じて自身の体を「バイオハック(解析・改良)」して編み出した食事法である。

彼が自分に代わって調査し実験してくれたと考えると、5千万円の価値がある情報だ(笑)

単に痩せるだけでなく、空腹感に悩まされることなく脳のパフォーマンスを最大化することを目的としている。今回は、帯に惹かれて購入した本書を読了。これまでの常識を覆す「完全無欠ダイエット」の4つの基本ルールを整理してみたい。

  1. 朝食を「完全無欠コーヒー」に置き換える

    このダイエットの代名詞とも言えるのが、「完全無欠コーヒー」という名づけられた「バターコーヒー」である。朝食の代わりに、良質なコーヒーにグラスフェッドバター(牧草飼育牛のバター)とMCTオイル(中鎖脂肪酸が凝縮されたオイル)を加えてミキサーで混ぜたものを飲む。これにより、空腹感を抑えるとともに、脳へ素早くエネルギー(ケトン体)が供給され、午前中から高い集中力を発揮できる、と。
     
  2. 質の高い「正しい脂肪」をたっぷり摂る

    従来のダイエットでは「脂質制限」が常識であったが、完全無欠ダイエットでは「1日のカロリーの50〜70%を正しい脂肪から摂る」ことを推奨している。MCTオイルやココナッツオイル、グラスフェッドバターなどの良質な中鎖脂肪酸・短鎖脂肪酸は、クリーンに燃焼するエネルギー源となり、ホルモンバランスの維持や体重減少に役立つ、と。
     
  3. パフォーマンスを下げる「反栄養素(毒素)」を排除する

    頭がぼーっとする、だるいといった不調の根本原因は、体内で起きる「炎症」である。そのため、植物が身を守るために持つ「レクチン」「フィチン酸」「シュウ酸」や、市販のコーヒーや穀物などに付着しがちな「カビ毒(マイコトキシン)」といった反栄養素を避けることを強く推奨している。健康に良いとされる玄米や大豆なども、これらの反栄養素が含まれるため注意が必要とされている、と。
     
  4. 「15〜18時間のプチ断食」と「夜の糖質」

    1日の食事は6〜8時間以内に済ませ、残りの時間は断食状態(ファスティング)にするのが基本である。空腹の時間を長く取ることで、細胞内の老廃物を掃除する「オートファジー(自食作用)」が働き、細胞レベルから体が浄化される。 また、糖質は完全に絶つのではなく、睡眠の質を改善するため「夜のみ」適量(約30g程度)を摂ることが推奨されている。ハイリスクな小麦などを避け、カボチャやサツマイモ、外皮を除去した白米など、クリーンな炭水化物を選ぶのがポイントである、と。

以上、「完全無欠ダイエット」は、カロリー制限や精神論に頼るのではなく、自分自身の体をシステムと捉え、最高のパフォーマンスを引き出すための合理的なライフスタイルとのこと。早速、私は朝食を「完全無欠コーヒー」に変えるところから、スタートし始めた。効果は後日に報告したい。

Woman walking up stairs in a modern train station with escalators and people

習慣化アプリ「みんチャレ」と『自分を変える1つの習慣』で人生を変える方法

習慣化アプリの「みんチャレ」を使い始めてから、私の生活は劇的に変わった。毎日見知らぬ仲間と目標を共有し、励まし合うことで、これまで何度も挫折してきた早起きや運動、読書(積読の消化)といった習慣が驚くほど身につくようになった。

なぜ、「三日坊主」だった私が変われたのか? その根本的な理由を言語化してくれているのが、ロリー・バーデン氏の著書『自分を変える1つの習慣』(原題:TAKE THE STAIRS)。本書は、小手先のテクニックではなく、人間の行動と意志に関する本質を突く隠れた名著だ。

以下、私の体験も交えながら紹介したい。

「エスカレーター」から降り、「階段」を使え

本書のメッセージは極めてシンプル。世界中の95%の人が、街角でエスカレーターと階段が並んでいると、無意識のうちに楽な「エスカレーター」を選んでしまう。これは人生においても同じで、私たちは常に「労力をかけずに望みを叶える近道」を探し求めている。

しかし著者は、「人生の成功を保証する唯一の方法は、昔からまったく変わっていない」と断言する。それは、大切だとわかっているが「したくない」と感じていることを、あえて実行する「セルフ・コントロール(習慣の力)」を身につけること

原題「TAKE THE STAIRS」にあるように、エスカレーターという楽な道を捨て、あえてちょっとキツイが「階段」を選ぶマインドセットこそが、あらゆる成功の土台となると。

痛みを伴う「パラドックスの法則」

私たちは脳の感情や衝動に従い、つい目先の快楽を求めて物事を「先送り」してしまう。しかし、問題を避けて一時的な「楽」を得ることは、長期的には人生に深刻な困難や大きなツケをもたらす。

逆に、目先の欲求に負けず、今ここで我慢することは、将来の「自由」を買うことにつながる。階段を上るという最初は苦しい「小さな選択」の積み重ねが、長期的にはとてつもなく大きな違いを生み出すということだ。

「みんチャレ」が成功する理由

そして、私が「みんチャレ」で生活を変えられた理由のすべてが、第7章「行動」に書かれている。

私たちは「何をすべきか」はすでに知っているにもかかわらず、行動に移せないだけだと。なぜなら、「時間」が経過するとともに私たちの「意欲」は消失してしまうから。

これを打ち破るための解決策として著者が提示しているのが、「目標を『360度』で共有する」こと。自分の目標を周囲の人や仲間に宣言し、見守ってもらうことで「退路を断つ」というわけ。

この点で「みんチャレ」は、この「アカウンタビリティ(責任)」をデジタル上で擬似的に作り出すシステムである。具体的な目標を必ずしも共有していないチームも多いが、チームの仲間に行動を報告しなければならないという「ポジティブなプレッシャー」が、毎日自分のお尻を叩いてくれている、と深く納得。

成功は「借り物」である

最後に印象的な言葉を。

「成功は自分の持ち物にすることはできず、借りることしかできない。その賃貸契約は、毎日更新しなければならない」

「成功は借り物であり、毎日契約を更新しなければならないという考え方をもつことで、あなたの人生には魔法のような変化が起こります」

人生を変えるための「1つの習慣(セルフ・コントロール)」に、これで終わりというゴールはない。今日階段を上ったからといって、明日はエスカレーターに乗っていいわけではない。

しかし、その「毎日家賃を払い続ける(行動する)こと」自体が、やがて爽快感や満足感、そして本物の自信へと変わっていくということ。

「自分を変えたい」と願いながら、つい楽な道を探してしまうすべての人へ。『みんチャレ』と本書は、あなたの「三日坊主」を直し、一生ものの「行動力」を授けてくれる…かも(微笑)

Businessman standing at a muddy fork with wooden signs pointing to success and failure

経営者のための「究極の意思決定」バイブル ― 『インテリジェンス 機密から政策へ』をビジネスでどう読むか

先の読めないVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代において、企業経営者は日々、不完全な情報の中で重大な決断を下すことを迫られている。競合他社の動向、地政学リスク、市場の急激な変化――。溢れかえるデータの海から、いかにして自社の生存と成長を左右する「真実」を見つけ出し、経営判断に結びつけるべきか。

書籍『インテリジェンス 機密から政策へ』は、米国インテリジェンス界の重鎮である著者が、国家の安全保障という「絶対に失敗が許されない究極の意思決定プロセス」を解き明かした標準的教科書である。

一見すると国家間のスパイ活動や外交問題の専門書に思えるかもしれない。しかし、本書の主語である「国家」を「企業」に、「政策決定者」を「経営者・CEO」に、「インテリジェンス機関」を「経営企画・情報分析部門」に置き換えて読んだとき、本書は極めて実践的かつ冷徹な「ビジネス戦略と組織マネジメントの書」へと変貌する。

経営者が本書から汲み取るべき最大の教訓は以下の3点に集約される。

1. 「インフォメーション」と「インテリジェンス」の峻別

経営トップのもとには日々膨大なデータやニュースが届けられる。しかし著者は、世の中のあらゆる事象を指す「インフォメーション(単なる情報)」と、意思決定者のニーズに合わせて収集・処理・分析され絞り込まれた「インテリジェンス」を厳格に区別する。

インテリジェンスとは、経営者を支援するためだけにオーダーメイドで生産される「知的付加価値」である。自社の情報部門が、単なるデータの切り貼り(インフォメーションの受け渡し)に終始していないか、経営判断に直結するインテリジェンスを生み出せているかを問うための強力なリトマス紙となる。

2. 経営者自身の「情報要求」と「フィードバック」の責任

本書が痛烈に指摘するのは、インテリジェンスが機能不全に陥る最大の原因は「情報を提供する側」だけでなく「情報を使う側(経営者)」にもあるという事実だ。経営者が「自社の直面する課題は何か」「どのような情報が欲しいのか(情報要求)」を具体的に現場へ伝達しなければ、分析部門は的を射た情報収集ができない。

また、提出されたレポートに対して「それが経営判断にどう役立ったのか」というフィードバックを怠れば、組織のモチベーションと分析精度はたちまち低下していく。本書は、トップ自身が「良き情報の消費者」にならなければ、組織の情報力は決して育たないという事実を突きつけてくる。

3. 「半透明の薄膜」と不確実性への向き合い方

経営者と情報分析部門の間には、決して越えてはならない境界線がある。著者はこれを「半透明の薄膜」と呼ぶ。経営者は分析部門に要求を出すことができるが、分析部門は客観性を保ち、特定の結論(経営者が喜ぶような耳障りの良い報告)に誘導してはならない。

現場が経営者の顔色を窺い始める「顧客一体化(迎合)」や、組織内に異論を許さない「集団思考」が蔓延したとき、どのような致命的ミスが起こるのか。イラクの大量破壊兵器問題などの国家の失敗例は、そのまま大企業の新規事業やM&Aにおける大失敗の構図と重なる。

さらに本書は、情報には常に「不確実性」が伴うことを前提としている。100%の確証が得られることは稀であり、分析官が示す「確率(〇割のチャンス)」や「兆候」の不完全さを引き受け、最終的なリスクをとって決断を下すことこそが経営者の孤独な責務であることを教えてくれる。

本書は、組織内に散在する知識をいかに統合し、偏見や希望的観測を排して冷徹な現実を直視し、それを次のアクション(戦略)へと変換していくか、その「インテリジェンス・サイクル」を企業内に実装するためのマニュアルである。

自社の意思決定プロセスを一段高い次元に引き上げたいと願う経営トップ、あるいは経営陣を情報の力で支える経営企画・インテリジェンス担当役員(CxO)にとって、これほど重厚で示唆に富む教科書は他にない。知の武装を組織の力に変えるための必読書として、強く推薦したい。

Stack of hardcover books and a smartphone on a wooden desk with sunlight

なぜ誘惑に負けるのか? それには科学的な理由がある

「今日こそは絶対に勉強するぞ」と決意したのに、いざスマホを目にすると何時間も動画を見てしまう。「明日からダイエットする」と誓ったのに、目の前のケーキを我慢できない。私たちはなぜ、長期的な利益を損なうとわかっている「自滅的な行動」を繰り返してしまうのだろうか。

ジョージ・エインズリー氏による著書『誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか』は、古代ギリシャから「アクラシア(意志の弱さ)」と呼ばれてきたこの謎に、行動科学の視点から鮮やかな答えを出している。そのカギとなるのが「双曲割引複数の自己」という概念だ。

「双曲割引」が引き起こす価値の逆転

従来の経済学では、人間は一貫した価値基準を持ち、将来の利益を一定の割合で割り引いて評価すると考えられていた(指数割引)。しかし、実際の人間や動物の行動はそれとは異なる。著者は、私たちが将来の価値を「双曲割引」という、より深くしなった急カーブを描く曲線で割り引いていることを指摘している。

双曲割引の最大の特徴は、誘惑が遠い未来にあるうちは「長期的な大きな報酬(例:健康)」を高く評価できるのに、誘惑が手に入る直前になった瞬間、一時的な報酬(例:目の前のケーキ)の魅力が急激に跳ね上がり、好みがひっくり返ってしまう点。

つまり、私たちは、将来もらえるご褒美の価値を「もらえるまでの時間」が長ければ長いほど「小さく」見積もってしまう。そして「双曲割引」の最大の特徴は、「ご褒美(誘惑)が目の前に近づいてきた瞬間、急激にその魅力が何倍にも跳ね上がる」という点。

あなたが誘惑に負けるのは気合いが足りないからではなく、この「選好の逆転」つまり好みがひっくり返るという抗いがたい脳のメカニズムがあるからなのだ。

私たちの心は「複数の自己」の議会場

この双曲割引のメカニズムは、私たちの人間観を覆す。私たちは自分自身を「一貫した目的を持つ単一の存在」だと思いがちだが、実際はそうではない。時間帯によって求める報酬が変わってしまうため、人間の内部には「結論のちがう評価者」が次々と入れ替わり立ち替わり登場している

つまり、心の中に、

「将来のために頑張りたいマジメな自分」
「今すぐ目の前の快楽を楽しみたい自分

という2人が住んでいて、時間帯や状況によって主導権がコロコロ入れ替わりながら、どうするかを決めるのに内部抗争を繰り広げているというわけだ。

自分自身との戦略的ゲーム

それでは、私たちは一生、目先の誘惑に敗れ続ける運命なのだろうか?

本書では、この複数の自己による争いを乗り越えるための手段も書かれている。賢い人は、将来の自分が誘惑に負けて計画を裏切ることを予測し、それを阻止するための戦略を立てる。

つまり自分の行動に「個人的なルール」を設けるなど、現在と未来の自分自身とで「異時点間の交渉」を行うことで、一時的な衝動に対抗しようとするわけだ。

簡単に言うと、「未来の自分が誘惑に負けること」をあらかじめ予測して、先回りして作戦を立てるということ。たとえば…

・家に帰ったら、スマホをリビングの親に預ける
・テレビやゲームがない図書館に行って勉強する

このように、「目の前に誘惑が来ないようにする(跳ね上がる前に遠ざける)」ことが、双曲割引と上手く付き合い、目標を達成するための最大のコツだと言えよう。


本書は、「気合い」や「根性」で誘惑に打ち勝つことを説くものではない。その代わり、人間が生まれつき抱えている「双曲割引」というバグと、心の中にひしめく「複数の自己」の存在を、科学的かつ論理的に解き明かしてくれる。

人間の不合理さをえぐるテーマでありながら、日常的な例や思考実験を通じて、自滅的行動のメカニズムを納得させてくれる。自分の「意志の弱さ」の正体を客観的なシステムとして知ることは、誘惑と上手く付き合い、より良い選択をしていくための最大の武器となるはず。

行動経済学や心理学に興味がある方はもちろん、悪習慣を断ち切りたいと願う人にとって、人間理解の次元を一段階引き上げてくれる隠れた名著だ。

Chessboard featuring a world map with artisanal styled chess pieces

私たちが世界の動向を読み誤る原因は? 超現代史が解き明かす国際紛争の本質

日々飛び込んでくる国際ニュースを見て、「なぜあの国はあんな非合理的な行動をとるのか?」「なぜ紛争は一向に終わらないのか?」と疑問に思うことはないか。私たちが世界の動向を読み誤る原因、それは「現在の表面的な出来事」だけを切り取って見ているからだ。

山中俊之氏の著書『世界のエリートが学んでいる教養としての超現代史』は、そんな私たちの視野狭窄を打ち破り、複雑に絡み合う世界情勢の「本当の姿」を浮かび上がらせてくれる、スリリングで知的な興奮に満ちた一冊。

グローバルビジネスの最前線に立つビジネスパーソンはもちろん、世界の仕組みを根本から理解したいすべての人に、本書を強く推薦したい。


なぜ日本のエリートは世界と話が合わないのか

著者の山中氏は、元外交官(エジプト、イギリス、サウジアラビアなどに赴任)であり、現在はグローバルビジネスのコンサルタントとして活躍する人物。世界108カ国を飛び回ってきた著者は、日本のいわゆる「エリート」と世界のエリートとの間に、歴史や国際情勢に関する教養の「絶望的な差」があることに警鐘を鳴らしている。

西欧の人々が近代史を「自らが主導してきた自分事」として捉えているのに対し、日本人はどうしても他人事として眺めがちだ。また、国際関係の根底にある「宗教(キリスト教やイスラム教など)」への深い理解が決定的に不足していること、そして無意識のうちに「西欧中心の価値観(欧米が正義であるという前提)」に染まっていることが、世界のリアルな力学を見誤らせる原因になっていると指摘する。

本書の最大の魅力:2010年以降の「超現代史」を3つの視点で斬るところ

本書は、世界がこれまでの前提(アメリカ一極集中や冷戦構造)から劇的に変化し始めた「2010年以降」を「超現代史」と定義し、世界をアメリカ、西欧、ロシア、東欧、中国、インド、中東、アフリカ、ラテンアメリカというブロックに分け、それぞれの地域を以下の「3つの層」で立体的に分析している。

  1. 現在(2010年以降の動向): トランプ政権の誕生やウクライナ戦争など、直近のパラダイムシフト
  2. 過去(歴史からの視点): 古代文明や植民地支配の記憶、宗教的背景など、ニュースだけでは見えない「行動原理」
  3. 未来(未来への洞察): 地理・人口動態・資源などを踏まえた、今後の国家の行方

このアプローチにより、表面的なニュースが「点」から「線」へ、そして「面」へと繋がっていく快感を味わえる。

圧倒的なリアリティで描かれる各地域の「行動原理」

本書の白眉は、各国の政治的・経済的な動きの裏にある「歴史的なトラウマ(怨念や屈辱)」や「根源的な恐怖・使命感」を容赦なく暴き出している点。

  • アメリカの分断と使命感: アメリカの「善の押しつけ(過剰な軍事介入)」や極端な社会分断の根底には、建国当初のピューリタンによる「神の国をつくる」というプロテスタント的価値観が深く根付いている。
  • ロシアと中国の「屈辱」: ロシアの強硬な外交姿勢は、防壁のない平原国家ゆえの「他国から侵略される恐怖」から来ている。また中国の強権的な一党独裁体制や周辺国への覇権拡大の原動力は、アヘン戦争以降の列強支配という「屈辱の歴史」を雪ぎ、中華思想(メンツ)を取り戻したいという強烈な執念にある。
  • 西欧の「贖罪意識」と矛盾: 人権や環境政策で世界に厳しいルールを課そうとする西欧のエリートたち。その背景には、古代ギリシア・ローマから続く「ルールの担い手」としての誇りと同時に、植民地支配やホロコーストという負の歴史に対する強烈な「贖罪意識(良心の呵責)」があるという指摘。
  • グローバルサウスの台頭と「反西側」のリアル: アフリカや中東、ラテンアメリカといった新興国が、なぜ欧米の価値観(民主主義など)に反発し、中国やロシアに接近するのか。そこには、不自然な国境線を引かれ、資源を搾取され続けてきた「植民地時代の怨念」が今も生々しく残っている。

「正解のない時代」を生き抜くための実践の書

これからは「国」という狭い単位にとらわれず、大局的な視座を持つことが重要。また、気候変動や人権問題(サプライチェーンにおける強制労働など)はもはや「綺麗事」ではなく、投資家や消費者から企業価値を直接問われる死活問題になっている。世界の歴史と宗教の文脈を知らなければ、ビジネス上の致命的な判断ミスを犯しかねない時代となった。

本書は、単なる歴史の教科書でも、無味乾燥な国際政治の解説書でもない。著者が実際に世界中を歩き、現地の空気を肌で感じ、ビジネスの最前線で直面した「生きた知識」の結晶ともいえる作品だ。

「なぜ世界はこうなっているのか?」

その答えを探求する旅へ、あなたもぜひこの約260ページの本書を片手に出発してほしい。読み終えた後、毎日のニュースの見え方が180度変わるはず。

World map continents with cracked, dry earth texture floating above dark ocean

世界はなぜ、これほどまでに混乱と対立に満ちているのか? キッシンジャーが解く国際関係

現代の世界はなぜ、これほどまでに混乱と対立に満ちているのだろうか。その根本的な問いに対し、現実主義外交の巨星ヘンリー・キッシンジャーが『国際秩序』にて圧倒的な歴史的知見と地政学的スケールで答えている。

私たちが現在「当たり前」とみなしている「主権国家の平等」や「力の均衡」に基づく国際ルールは、実は17世紀のヨーロッパ(ヴェストファーレン条約)で生まれた局地的な概念にすぎない。本書の真髄は、この欧米主導のシステムが、異なる歴史と文化を持つ地域と激しく衝突し、機能不全に陥りつつある現代世界の構造を浮き彫りにした点にある。

キッシンジャーは各地域の独自の「秩序観(正統性)」を冷徹に分析している。

・自らを世界の中心とする「天下」の概念を持ち、ヨーロッパ的な対等の関係とは異なるヒエラルキー的秩序を志向する中国
・ヨーロッパ列強が引いた人為的な国境線と主権国家体制を拒絶し、宗教的統一を目指すことで国家崩壊とテロの温床(無秩序)となっている中東・イスラム世界
・世界秩序の維持を自任しながらも、自国の「民主主義や人権」という普遍的価値観を広めようとする「理想主義」と、地政学的な力の計算に基づく「現実主義」の間で常に葛藤を抱える米国

こうした姿を克明に述べながら、さらに、核兵器の拡散やサイバー空間の登場といったテクノロジーの急激な進化が、従来の「武力による均衡と抑止」を無効化し、人間による制御を困難にしている現代特有の危機にも斬り込んでいる。

キッシンジャーが最後に突きつけるのは、「ひとつの普遍的なルールで世界を統一することは不可能である」という現実だ。破局を回避するためには、自国の価値観の押し付け合いをやめ、各国の多様な「正統性」を理解・尊重しながら、絶え間ない対話によって新たな「力と正統性のバランス」を構築し直すしかない。

米中対立の激化や中東の果てしない紛争など、日々のニュースの背後で起きている「パラダイムの衝突」の正体を知りたい方にとって、本書はこれ以上ないテキスト。世界情勢の全体像を俯瞰し考えるための「羅針盤」として、あらゆる方に推薦したい。

Colosseum ruins in Rome at sunset with orange and purple sky

なぜローマ帝国は崩壊したのか?

永遠の都はいかにして崩れ去ったのか?

イギリスの歴史家エドワード・ギボンが著した『ローマ帝国衰亡史』は、小さな都市国家から出発したローマが、いかにして地中海世界を覆う大帝国となり、そしてなぜ崩壊という運命を辿ったのかを描き出す、壮大なスケールの歴史ドラマだ。

栄華の頂点から落日までの壮大な軌跡

本書の魅力は、二千年以上前に繰り広げられた人間たちの熱い群像劇。「ローマは一日にしてならず」という言葉通り、ロムルスとレムスの建国神話に始まり、カルタゴの将軍ハンニバルとの国家の存亡を懸けた死闘(ポエニ戦争)、そして英雄カエサルの活躍と暗殺、初代皇帝アウグストゥスによる帝政の樹立へと展開、その後「五賢帝」の時代に、ローマ帝国は人類史上稀に見る平和と繁栄を謳歌するが、物語の真骨頂はここから。

軍人皇帝時代の混乱、キリスト教の迫害から公認への転換、コンスタンティヌス大帝による遷都、そして怒涛のゲルマン民族の大移動によって、かつて栄華を極めた西ローマ帝国が音を立てて崩れ去るまでの一連の過程が、劇的に綴られている。

なぜ大帝国は滅びたのか?― ギボンが突きつける衰亡の理由

最大の読みどころは、圧倒的な軍事力と高度な文明を誇ったローマが滅びた「根本原因」に対する、ギボンの鋭い考察だ。彼は、帝国崩壊の原因を単なる外部からの侵略(ゲルマン人の大移動など)だけには求めなかった。ギボンは、ローマの真の敗因は「帝国内部のいきすぎた文明の進歩、ぜいたく、それにともなう、退廃」にあると。

繁栄の中で人々が享楽にふけり、国を支える「真剣な態度」や「真の勇気」を失ってしまったこと、さらに新興のキリスト教がローマ古来の伝統や精神を弱めたことなどが、帝国を内部から蝕んでいったと論じている。

現代人への力強いメッセージ

歴史好きな方はもちろん、すべての人に強くおすすめしたい。どんなに強大で豊かな国家や文明であっても、内部の油断や道徳の退廃によって脆くも崩れ去るという歴史の法則は、現代社会やビジネス、組織のあり方にも通じる普遍的な教訓だと思う。

「永遠の都」と呼ばれたローマの光と影を通じて、人間の本質とは何か、そして社会を支える真の力とは何か、を考えさせられる、極上の知的体験となるはず。ぜひ手に取っていただきたい。

Sunrise shining over rolling hills with mist and scattered trees

成功の多くは実力ではなく、単なる運だ

成功の多くは実力ではなく、単なる運だと思え

ナシーム・ニコラス・タレブの『まぐれ』を読了。投資家や事業家が直視したくない残酷な真実、つまり「成功の多くは実力ではなく、単なる運」という事実をこれでもかこれでもかと突きつけてくる。ページをめくるたびに、過去の自分の愚かさを指摘されているようで、耳が痛かったがこれは良書。

思い返せば、私の起業が失敗せずに済んだのは「運もあるが努力のおかげでもある」とすっかり思っていた。しかし、本書の「ロシアン・ルーレット」の比喩を読んで、たまたま運良く「最悪の事態」が起きなかっただけの結果にすぎなかったのではないか。今はそう思える。

私たちはなぜか、成功した時は「自分の実力」だと言い張り、失敗した時だけ「運が悪かった」と言い訳をする。そんな都合の良い思考回路を持った生き物なのだ。

世の中の「成功法則」がいかにデタラメであるか

私はこれまで「勝者」には共通するコツやルールのようなものがあると思っていたが、すべて「たまたま生き残った勝者」だけを見た「生存バイアス」に過ぎなかった。

冷静に考えればたしかにそうだ。「勝者」の影には、同じように努力してリスクを取りながらも、不運によって破滅していった無数の「敗者」たちがいる。結果が出た後からなら、どんなことにでももっともらしい理由(因果関係)をつけることができるのだという本書の指摘は、私の考え方を完全にひっくり返した。

人間の脳は生来、確率を正しく理解できず、すぐにもっともらしい物語(迷信)に騙されるようにできている。だからこそ、特に投資については、自分の感情を排除し、「想定外の事態(=黒い白鳥)」が必ず起きることを前提とした厳格なルール(ストップロスの徹底など)で自分を縛らなければならない。

人生や市場を支配する「まぐれ(運命)」を、私たちが完全にコントロールすることはできない。古代ギリシャの賢人ソロンが言うように、最後まで何が起きるかは誰にもわからない。

理不尽な不運に見舞われたとき、それにどう立ち向かうか

ただし、何が起きても「振る舞いの美しさ(品格)」だけは、自分自身で決められる。運命の不確実さを謙虚に受け入れ、驕らず、しかし尊厳をもって生きる、それが、本書の最大の肝だろう。

Ancient warships engaged in a fierce naval battle on the sea with soldiers fighting aboard.

圧倒的な軍事力を誇るペルシア帝国に対し、なぜ小国ギリシアが勝利できたのか?

「歴史」の父が描くエンターテインメント

本書を読むうえで最も重要なのは「正確な歴史書」として読もうとしないこと。著者のヘロドトス自身、旅行で見聞きした伝承や噂、神話などを多く盛り込んでおり、本作はフィクションや「物語」としての性質を持っている。

年代記のように事実を追うのではなく、まるで神話や童話、あるいは壮大な歴史ロマン小説を読むような気持ちで、古代の地中海世界やオリエントをめぐる「旅行記」「風土記」を読む気持ちで、神託と運命に翻弄される「人間ドラマ」を味わう気持ちで読むのが、本書を楽しむ秘訣かと思う。

途中、人間の力ではどうにもならない「神の意志(神託)」や「運命」が幾度も登場し、英雄や王たちを翻弄する。たとえば、巨万の富を誇るリディア王クロイソスに対し、賢者ソロンが「人間は死ぬときを見るまで、幸福であるかはわからない(人間の運命は気まぐれである)」と述べるエピソードは非常に象徴的で、その後、クロイソスは神託を都合よく解釈してペルシアに戦争を仕掛け、結果的に自らの帝国を滅ぼしてしまう。絶対的な権力を持った王でさえも運命を逃れられないという、哀愁と深い人間観察が面白さを加えている。

「ペルシアの専制政治」対「ギリシアの自由と民主制」という大構図

物語のクライマックスとしてペルシア戦争が登場するが、単なる領土争いではない。ヘロドトスはこの戦争を、ひとりの大王がすべてを支配する「ペルシアの専制政治」と、市民たちが自ら国を治める「ギリシアの民主政治」との激突として描いている。

圧倒的な軍事力を誇る巨大な専制帝国に対し、なぜ取るに足らない小国ギリシアが勝利できたのか

それは、ギリシア人が「自由」を深く愛し、それを守り抜くために団結して戦ったから、というギリシア人からの視点ではあるものの、マラトンの戦いからサラミスの海戦へと至るギリシア人たちの決死の奮闘は、まさに「自由と民主主義の勝利」を描いた熱いドラマとして胸に迫るものがある。

人間の愚かさや気高さ、運命の不思議さ、そして「自由」の尊さを生き生きと描き出した時代劇。登場人物名や地名が多すぎて参るが(苦笑)、日本なら神武天皇の頃から百年後の頃、二千五百年以上の時を超えて当時の人々の躍動感を感じ取ることができるはず。

Sunset view of the Roman Forum ruins with the Colosseum illuminated in the background

自分の弱さと向き合い続けた青年の記録

アウグスティヌス(354年 – 430年)は、古代ローマ末期の北アフリカに生まれた思想家である。異教徒の父と、熱心なキリスト教徒の母の間に生まれ、若き日は弁論術を学びながら、かなり奔放な生活を送っていた。その過程で「マニ教」に入信するなど、思想的にも人生的にも迷い続けた人物である。

そんな彼が最終的にキリスト教の司教となり、西洋思想に大きな影響を与える存在になるまでの葛藤をつづったのが『告白』である。

本書を読み、最も印象に残ったのは、この本がいわゆる「完成された聖人の立派な物語」などではないということ。むしろ、「なぜ自分はこんなに弱いのか」「なぜわかっているのに正しく生きられないのか」という自己矛盾と戦う、一人の青年の生々しいドキュメンタリーであったということ。

若い頃の彼がマニ教に惹かれたのは、「世界は光と闇の戦いであり、自分の失敗は闇の力のせいだ」と責任を外部に転嫁できたからではないか。しかし彼は、そうしたわかりやすい答えに満足できなかった。

やがて「悪とは何か」という問いに対して、悪とは実体として存在するのではなく、「善が欠けている状態」に過ぎないという考えに辿り着く。そして、献身的な母の影響を受けながら、最終的にはキリスト教の信仰へと向かっていく。

「反省」が「感謝」に変わる

タイトルの『告白(Confessiones)』という言葉には二重の意味がある。「懺悔」と「(愛の)告白」だ。彼は単に過去の過ちを振り返りながら、ただ後悔し反省しているわけではない。「自分の意志さえ思い通りにできない弱い自分が、それでも何かの大きな力に支えられ、ここまで導かれてきた」ということに、深い感謝と神への愛を見出していた。この「弱さの肯定」こそが、本書の核心だと思う。

晩年の彼は、永遠の都と呼ばれたローマが異民族に襲われるという、まさに「文明の崩壊」を目の当たりにする。その中で提示された『神の国』という考え方は、目に見える国家や組織が壊れたとしても、自分が何を愛し、何を信じるかという軸さえあれば、人は絶望せずに生きていける、というメッセージにも読める。

1600年も前の本でありながら、そこにある問いは驚くほど現代的である。

「自分は何者なのか」
「どうすれば正しく生きられるのか」
「なぜ分かっているのに、思うように生きられないのか」


そうした問いに対して、彼はきれいごとではなく、泥臭く悩みに悩み抜いた。そして、ようやく自分なりの「納得」にたどり着こうとした。

『告白』は、偉大な聖職者の難しい本というより、自分の弱さや矛盾に真剣に向き合った、一人の青年のドキュメンタリーとして読むと、とても面白い本である。

大阪・関西万博で「クールジャパンアワード2025」表彰式

過日、大阪・関西万博で「クールジャパンアワード2025」表彰式を無事終了。

あらためて、ご来賓の関代議士、溝畑大阪観光局理事長、ご後援いただいた各省庁・関係機関、ご講演いただいた特別顧問のカーさん、ハリスさん、劇団往来さんをはじめとする運営スタッフの皆さん、審査・推薦・キュレーターの皆さん、そして準備に奔走された太田会長、今城さん、小野事務局長、太田統括キュレーター、ジーリ専務理事、田中理事、ローレン理事、貴重な機会をいただいて心よりお礼申し上げます。

46団体の受賞は日本の伝統と革新が見事に融合した証。本当におめでとうございます。多くの受賞者の皆さんが遠路ご参加され、非常に盛会となりました。

大変遅ればせながら、深く御礼申し上げます。今後ともご支援ご協力をお願いします。

郷土に刻まれた司令長官の言葉

先日実家に帰省した際、福井市役所の玄関に二つの巨大な書が掲げられているのに初めて気付いた。

一つは岡田啓介の「恭倹博愛」、もう一つは加藤寛治の「修道保法」。ともに福井市出身、第16代と第17代の連合艦隊司令長官という絶妙な組み合わせ。

ちなみに、「恭倹博愛」とは、人には礼儀正しく、自分は謙虚に質素に振る舞い、すべての人を平等に愛し慈しむこと。「修道保法」とは、道義を正しく身につけ、組織の秩序や規則を保つこと。いずれも組織の長たる要諦か。自身の座右の銘であったに違いない。

日本のラグジュアリーツーリズムの未来とは

昨日、日本青年会議所(北陸信越地区協議会・富山市にて開催)にお招きいただいた。

クールジャパン協議会・代表理事の立場で、太田会長とジュリアンジーリ専務理事、wipコネクト高木社長と共に、「ラグジュアリーツーリズム」について講演。

北陸新幹線が福井県敦賀まで延伸されたことで、地域(長野県、新潟県、富山県、石川県、福井県)に対する期待がものすごく高まっているのがわかる。

東京・京都・大阪を結ぶ東海道ルートのオーバーツーリズムへの対策として、北信越ニューゴールデンルートの開発にお役に立てると嬉しい。

「クールジャパンアワード」も、コロナ禍での延期を経て、2025年の開催に向けて準備が始まるので、自薦他薦を寄せてください。
http://www.cooljapan.info/about.html

知覧特攻平和館の後に訪れたい大野岳

知覧特攻平和館の後には、ぜひ大野岳を勧めたい

標高466メートルの独立峰。車を使って山頂近くまで行けるが、意外と訪れる人は少ない。

山頂に到着すると、そこからの眺望に息を呑む。360度のパノラマビューが広がり、薩摩半島の自然美を一望できる。

開聞岳の雄大な姿、池田湖の美しい水面、東シナ海の広がる青、茶畑や芋畑が織りなす田園風景を見渡すことができる。天候にも恵まれれば、遥か彼方に硫黄島や屋久島も見えるだろう。

特攻機が飛ぶ高さもちょうどこのぐらいではないか・・・どのような想いで向かっていったのだろう。

若い特攻隊員たちが知覧飛行場を飛び立ち、彼らの眼下に同じ風景が広がっていたのだろうと考えると、胸に込み上げるものがあり、静かに手を合わせた。

面白くない仕事

仕事の中には面白くない仕事があるかもしれない。面白くない仕事を面白くする工夫は大切だが、面白くない仕事をいかに早く片付けるか、これに知恵を絞り努力することも大切である。

なぜなら、面白くない仕事をどれだけ早く捌けるかで、面白い仕事にどれだけ多く出会えるかが決まるからだ。作業のスピードをもっと上げ、もっとたくさんの面白い仕事に出会いたい。面白い仕事に頭脳と体力をぶつけたい。

懐かしい英語参考書の思い出

過日、実家の隅に眠る高校時代の英語参考書を見つけ、懐かしい思い出に心が震えた。 ”We had a lot of snow last year.”から始まる「英語の構文150」。そこには数え切れないほどのアンダーラインや書き込みが残されている。

そういえば、試験日の通学途上、田んぼ道を自転車で走りながら二宮金次郎ばりに読んでいた。今となっては無謀で危険だった(苦笑)

でもそんな時代があったからこそ、後日私は英国留学を果たすことができた。抱きしめて感謝だ。

ちなみに、Amazonでこの中古本が送料込み約4000円。でも、売らない(売れない(笑))し、他人の本には価値を感じない。私にとっては、自分の書き込みが詰まったこの本がかけがえのない宝物。皆さんにもそんな本があるはず。

ワシントンポスト紙に福井

ワシントンポスト紙「2024年に喧騒を離れて旅行すべき場所12」に日本・福井が選ばれた。(画像は永平寺)

2024年は日本の観光がコロナ前のレベルを超える可能性あり。都市の喧騒から離れ、最もスピリチュアルな地域を見たいなら福井へ行け。福井には寺院、温泉、芸術、食事(特に越前ガニ)があり、3月に新幹線が開通すると、東京から約3時間で到着することができる、とさ。

慧眼だ(嬉)