円が1ドル163円をつけた。39年7か月ぶりの安値だという。
中東情勢の緊迫による「有事のドル買い」が背景と説明されているが、私が心を惹かれたのは、その「39年7か月ぶり」という言葉のほうだ。
前回この水準にあったのは1986年12月。ただし当時の円は、この場所を逆向きに通り過ぎていた。プラザ合意を経て、1ドル240円から100円へと駆け上がっていく、その途中の一点である。同じ数字でも、往路と復路とではまるで意味が違う。あのとき昇り坂として通過した地点に、40年近くをかけて、今度は下りながら戻ってきた。
こうなると、外国は高い。旅行に限らない。留学、赴任、出張、洋書の購入。外に出るという行為のすべてに、以前の1.5倍を超える値札がつく。若い人たちが海外へ出なくなったと嘆く声を聞くたび、これは気概の問題である以上に、お金の問題ではないかと思う。
もっとも、日本人の洋行はもともと、途方もなく高いものであった。
福澤諭吉が咸臨丸で太平洋を渡ったのは万延元年、1860年である。渡航そのものが命懸けであった時代に、彼が現地で買い求めたのは、大量の書物であった。とりわけ、英華辞典である。言葉が分からなければ何も持ち帰れないと見切った上での買い物であり、後の慶應義塾と、この国の翻訳文化の水脈は、あの一冊から始まったと言ってよい。
夏目漱石のロンドン留学は1900年からの2年間。文部省の給費生でありながら、彼は下宿を転々とし、食費を切り詰めた。切り詰めた分で何をしたかといえば、本を買った。帰国時に持ち帰った蔵書は数百冊に及んだと伝えられる。
神経衰弱になり失敗だったとも語られるあの2年間で、彼は英国から、下宿の一室に積み上がった書物と、「自分の進むべき道(鉱脈)を掘り当てた」という強い確信を持ち帰ったといえる。
高い時代に外国へ出た人ほど、何を持ち帰るかについて真剣だった。当たり前かもしれない。だが、この当たり前は示唆に富む。円が高く、外国が安かった時代、私たちは外国から何を持ち帰っていただろうか。
私が英国で学んだ1990年代の半ばは、円が最も強かった時期にあたる。当時の日本人留学生は、少なくともお金の面では恵まれていた。
だが正直に言えば、その恵まれた条件を、私がどれほど活かしきれたかは心もとない。安いから買えた本、安いから行けた土地は数多くあったけれども、貧乏学生だったとはいえ、何にお金を使うかという悩みは、福澤や漱石時代の比ではない。福澤や漱石が一冊の辞書に賭けたような集中力や真剣さを、あの頃の自分が持っていたとは、とても言えない。
要は、高いということは、何を持ち帰るのかを、否応なく考えさせられるということ。3万円の航空券で行く外国と、30万円で行く外国とでは、見えるものの解像度が違ってくる。値札は、人を真剣にさせるということだ。
39年前この数字を昇りながら通過した世代が、豊かさとともに何を失ったのかを思うと、今の若い人たちが手にしている条件は、必ずしも不利ばかりではない。安い国から高い世界へ出ていくというのは、まさに明治の青年たちが置かれていた立場そのものではなかったか。
1ドル163円。この数字を、嘆きというより、問いとして受け取るのがいい。何を持ち帰るのか。それを決めてから、洋行せよ。彼らはそう問うていると思うから。
































