この7月4日、アメリカは建国250年を迎えた。誠におめでたくお祝い申し上げたい。
そこで今回は、同じ1776年に世に出た本二冊を採り上げようと思う。その二冊とは、2月に第一巻が刊行されたエドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』と、その翌月に出たアダム・スミス『国富論』である。
新しい国家の誕生と、大帝国の死亡診断書と、富の理論。後世から見れば近代を形づくる三つの文書が、申し合わせたように同じ一年に、それも数カ月のうちに現れた。
歴史にはときおり、こういう不思議な符合がある。だがこれは単なる偶然の同居ではない。二冊の本はどちらも、独立宣言が突きつけた問い、すなわち「帝国はなぜ植民地を失うのか」という問いに、事件に先立って答えを書いていた。
ギボンがこの大著を思い立った瞬間については、本人が回想録に書き残している。
1764年10月、ローマを旅していた彼は、カピトリーノの丘の廃墟に腰を下ろしていた。かつてユピテルの神殿があった場所で、裸足の修道士たちが夕べの祈りを唱えるのを聞いたとき、この都の衰亡を書こうという着想が降りてきたのだという。
彼の答えは、今なお新しい。ローマは一撃で滅んだのではない。帝国は自らの過剰な大きさという重みに、内側から少しずつ耐えられなくなっていった。衰亡とは事件ではなく過程である。そして過程であるがゆえに、その内側にいる者の目には映らない。
一方のスミスは、同じ問いを台帳の側から解いた。
『国富論』といえばピン工場の分業や「見えざる手」が引かれるのが常だが、この書物の終盤には、植民地を論じた長大な章がある。そこでスミスは、母国の重商主義的な独占が帝国自身にとって割に合わない事業であることを、費用と便益から冷静に算定してみせた。
植民地が帝国の経費を負担しないのであれば、英国はむしろ自らこれを手放すべきである。大西洋帝国の構想は帝国そのものではなく、帝国という夢にすぎない。そう言い切ってのける経済学者が、開戦の年のロンドンにいたのである。
政治家たちが威信を語っているときに、帳簿を見よと言った。この胆力には、二百五十年を経ても敬服するほかない。
なお、興味深いことに、この二人は互いを知る仲であった。
ともにロンドンの文人サークル、サミュエル・ジョンソンやエドマンド・バークが設立した「The Club(クラブ)」に名を連ねており、ヨーロッパ随一の都市の、ごく狭い社交の輪の中から、同じ春に、帝国への二つの診断書が生まれた。
ギボンは世紀の単位で帝国の寿命を測り、スミスは収支の単位で帝国の採算を測った。物差しは違えど、結論は響き合う。過剰に広がったものは、その広がり自体によって蝕まれる、と。
ここに一つ、皮肉な暗合がある。
ギボンは執筆のかたわら英国議会に議席を持ち、アメリカ植民地への強硬策を支持する側に票を投じていた。ローマの衰亡をあれほど鮮やかに見通した眼にも、自らが生きる帝国の亀裂は見えなかった。
スミスの帳簿にせよ、閣議を動かすには至らなかった。診断は正しくとも、患者は聞く耳を持たぬのが常である。人間の視力とはそういうものか。
建国250年のアメリカをめぐっては、今後の行方を論じる声がかまびすしい。私はここでアメリカの衰亡を予言するわけではない。歴史は繰り返さないし、ローマと現代を安易に重ねたいわけでもない。
ただ、韻は踏む。
1776年の二冊が教えてくれるのは予言ではなく、測り方。国家の健康は四半期や選挙の周期ではなく、世紀の単位と、正直な帳簿との両方で測らねば見えてこない。そして最も見えにくいのは、いつの時代も、自分が立っている足元なのだ。
英国で歴史学を学んでいた頃、かの国の書店では、ギボンもスミスも今なお普通の顔をして棚に並んでいることに感心した記憶がある。二百五十年前の書物を現役の同時代人として読み続ける社会は、それだけで一つの見識である。
独立宣言が読み上げられるこの夏、片隅で二冊の頁を繰る。それもまた、250年の祝い方の一つだと思っている。


































