西洋絵画の面白さ:山田五郎さんの主張

美術評論家や編集者として、アートの楽しさを優しくおもしろく伝え続けてくれた山田五郎さん。ご冥福をお祈りします。以前、彼の本『知識ゼロからの西洋絵画入門』を非常に面白く読ませていただいた。

あらためて引っ張り出して、彼が私たちに一番伝えたかったメッセージをまとめてみた。


絵画鑑賞は「勉強」じゃない

美術館で絵を観るというと、「歴史の勉強みたいで難しそう」「センスがないと分からないのかな」と思ってしまう人も多いと思うが、山田五郎さんは「そんなことはまったくない!」と。特別な知識や努力、才能なんてなくても、ただ自分が好きな絵を観て「いいな」と楽しむだけで、立派な絵画鑑賞なのだと。絵画は、ゴルフや釣りのように、誰もが自由に楽しんでいい「大人の趣味」のひとつにすぎない。

五郎さん流「観る眼」を育てる4つのコツ

ただ、せっかく観るなら「ちょっとしたコツ」を知っておくと、面白さが何倍にもアップする。五郎さんがすすめる「観る眼」を育てるコツは、とてもシンプルだ。

  • 何ごとにもとらわれずに観る  「これは有名なダ・ヴィンチの絵だからすごいはずだ」というような知識や情報は、ときに私たちの目を曇らせてしまう。世の中には、有名な画家のイマイチな絵もあれば、無名な画家の素晴らしい絵もたくさんある。だから、まずは名前やタイトルを気にせず、まっさらな心で絵そのものをじっくり観てみよう。自分なりに「好きだな」「おもしろいな」と感じた後で、初めて解説や画家の名前を見るのが五郎さんのおすすめ。
  • 実物をたくさん観る  画集でもいいので、とにかくたくさんの絵を観ていくと、だんだん「自分の好みの基準」が分かってくる。
  • 興味を持って調べてみる  絵を観て「どうしてこんな描き方なんだろう?」と不思議に思ったら、その裏にある歴史を少しだけ調べてみよう。背景を知ると、絵がグッと身近な存在になる。
  • 作品を買って飾ってみる  芸術は本来、美術館に閉じ込めておくものではなく、私たちの暮らしを豊かにするためのもの。高価な名画でなくても、お気に入りの絵を自分の部屋に飾って毎日眺めることこそが、絵画との一番正しい付き合い方だ。

西洋絵画の「リアルで濃い」裏側を楽しもう

明治時代以降に日本に入ってきた新しい絵画(近代絵画)は、おだやかで分かりやすく、親しみやすいものがたくさん。けれど、もっと古い西洋絵画の根っこには、「古代ギリシャの文化」「キリスト教」「ゲルマン民族(森の文化)」という3つの全く違う文化が混ざり合った、人間味あふれるどろどろとしたリアルで濃い伝統がある。

「人間は裸が一番美しい!」とするギリシャの考え方と、「裸はハレンチだからダメ!」とするキリスト教のルールがぶつかり合ったりしながら、画家たちは必死に工夫して美しい絵を生み出してきた。この「リアルで濃い」歴史のドラマを知ると、西洋絵画はもっと面白くなる。


なぜ、五郎さんはこの本を書いたのか?

実は、美術の「専門家」になればなるほど、専門的な細かい話にとらわれてしまい、美術全体を「ざっくりと分かりやすく面白く話すこと」が難しくなってしまう。だからこそ、五郎さんはあえて専門家ではなく「ただのファン(素人)」としての目線に立ち、初心者と同じ目線で、自分が本当に「面白い!」と思ったポイントだけを、難しい専門用語を使わずにみんなに伝えたかったのだと思う。

五郎さんが遺してくれたこの本は、「絵画って、こんなに自由で、こんなにツッコミどころがあって、面白いものなんだよ」と、私たちの背中をやさしく押してくれる温かいメッセージにあふれている。

想定外の災害に備えるために

熊本で最大震度7の地震が発生した。被害の詳細が明らかになるにつれ、東日本大震災で「釜石の奇跡」を生んだ片田敏孝氏の避難三原則をあらためて。

「想定にとらわれるな」
ハザードマップや過去の経験を超える事態は、いつでも起こり得る

「その状況下において最善を尽くせ」
揺れが収まった瞬間から、できる限りの行動を積み重ねるしかない。

「率先避難者たれ」
自分が一歩動くことで、周囲の命も連鎖的に守られる。

想定外の災害は、私たちの想像を軽々と超えてくる。だからこそ、日頃からこの三原則を心に刻んでおかないと。今回の地震が、その教訓を静かに、しかし確かに突きつけている。

熊本の大地震に寄せて

昨日、熊本県で最大震度7の地震が発生いたしました。被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表します。

熊本に暮らす方々にとっては、十年前(平成二十八年)の熊本地震に続く、二度目の大きな揺れとなりました。ようやく日常を取り戻された矢先の出来事で、被災された方々の心中を思うと言葉が見つかりません。

加えて、この猛暑の最中の停電です。県内では四万五千戸を超える世帯で電気が止まったと伝えられています。冷房も、冷蔵庫も、扇風機も使えない夜が、どれほど過酷なものか。一日も早い復旧と、皆さまのご無事を願うばかりです。

そして、今、日本のどこにいても、いつ大きな揺れに見舞われるか分からない時代。安全な場所など、この国のどこにもありません。

「まさか」は、必ず来ます。連絡手段も、事業継続の手順も、今日この日に見直しておきたいと思います。

被災地の一日も早い復旧を、心よりお祈り申し上げます。

Woman writing in journal at wooden desk by window during sunset

変わっていい、という東野圭吾さんの遺言

東野圭吾さんが亡くなった。六十八歳。訃報が伝えられたのは昨日である。

コロコロ意見や考えを変えるのは自分の得意技だ、と彼は言った。意見を変えたら恥だとか、一旦ああ言ってしまったから引っ込みがつかないなどと思っていないか、と。いくらでも変えて構わない。人の意見を聞いて、人間は変わったほうがドラマチックだ。肩の力を抜いて、どんどん変化して生きていこう。

軽やかな言葉である。だが、これを言うには胆力が要る。

歳を重ねるほど、人は変われなくなる。守るべき立場ができ、これまで言ってきたことの一貫性が気になり、前言を撤回する場面が減っていく。変わらないことを、信念と呼び替えるようにもなる。私にも覚えがある。

エンジニアとして働きながら小説を書き始め、四十年で百六冊を残した人である。書くたびに作風を変え、同じ場所に留まらなかった。得意技である変化をし続けたからこそ、あれだけの物語が出てきたのだろう。

意見を変えるのは、負けたことではない。人の話を聞いた、ということである。そう思えば、少し楽になる。今日から少し、肩の力を抜こうと思う。

ご冥福をお祈りします。

※画像:読売オンライン https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/articles/20231206-OYT8T50145/

1ドル160円時代の洋行:何を持ち帰るのか

円が1ドル163円をつけた。39年7か月ぶりの安値だという。

中東情勢の緊迫による「有事のドル買い」が背景と説明されているが、私が心を惹かれたのは、その「39年7か月ぶり」という言葉のほうだ。

前回この水準にあったのは1986年12月。ただし当時の円は、この場所を逆向きに通り過ぎていた。プラザ合意を経て、1ドル240円から100円へと駆け上がっていく、その途中の一点である。同じ数字でも、往路と復路とではまるで意味が違う。あのとき昇り坂として通過した地点に、40年近くをかけて、今度は下りながら戻ってきた。

こうなると、外国は高い。旅行に限らない。留学、赴任、出張、外に出るという行為のすべてに、以前の1.5倍を超える値札がつく。若い人たちが海外へ出なくなったと嘆く声を聞くたび、これは気概の問題ではなく、お金の問題ではないかとも思う。

もっとも、日本人の洋行はもともと、途方もなく高いものであった。

福澤諭吉が咸臨丸で太平洋を渡ったのは万延元年、1860年である。渡航そのものが命懸けであった時代に、彼が現地で買い求めたのは、大量の書物であった。とりわけ、英華辞典である。

言葉が分からなければ何も持ち帰れないと見切った上での買い物であり、後の慶應義塾と、この国の翻訳文化の水脈は、あの一冊から始まったと言ってよい。

夏目漱石のロンドン留学は1900年からの2年間。文部省の給費生でありながら、彼は下宿を転々とし、食費を切り詰めた。切り詰めた分で何をしたかといえば、本を買った。帰国時に持ち帰った蔵書は数百冊に及んだと伝えられる。

神経衰弱になり失敗だったとも語られるあの2年間で、彼は英国から、下宿の一室に積み上がった書物と、「自分の進むべき道(鉱脈)を掘り当てた」という強い確信を持ち帰った。

高い時代に外国へ出た人ほど、何を持ち帰るかについて真剣だった。当たり前かもしれないが、この当たり前は示唆に富む。円が高く、外国が安かった時代、私たちは外国から何を持ち帰ったのだろうか。

私が英国で学んだ1990年代の半ばは、円が最も強かった時期にあたる。当時の日本人留学生は、少なくともお金の面では恵まれていた。

だが正直に言えば、その恵まれた条件を、私がどれほど活かしきれたかは心もとない。安いから買えた本、安いから行けた土地は数多くあったけれども、貧乏学生だったとはいえ、何にお金を使うかという悩みは、福澤や漱石時代の比ではない。彼らが一冊の辞書に賭けたような集中力や真剣さを、あの頃の自分が持っていたとは、とても言えない。

要は、高いということは、何を持ち帰るのかを、否応なく考えさせられるということ。3万円の航空券で行く外国と、30万円で行く外国とでは、見えるものの解像度が違ってくる。値札は、人を真剣にさせるということだ。

そう思うと、今の若い人たちが手にしている条件は、必ずしも不利ばかりではない。安い国から高い世界へ出ていくというのは、まさに明治の青年たちが置かれていた立場そのものだった。

1ドル163円の時代に、何を持ち帰るのか。それを決めてから、洋行せよ。彼らはそう問うていると思う。

Antique books about American history, colonial law, and congress with a colonial-era American flag, a vintage map of the eastern United States, a quill in an inkpot, a pocket watch, and handwritten letters on a wooden table.

アメリカ建国1776年の教訓:ギボンとスミスの視点

今月4日、アメリカは建国250年を迎えた。誠におめでたくお祝い申し上げたい。

今回は、同じ1776年に世に出た本二冊を採り上げようと思う。その二冊とは、同年2月に第一巻が刊行されたエドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』と、その翌月に出たアダム・スミス『国富論』である。

新しい国家の誕生と、大帝国の死亡診断書と、富の理論。後世から見れば近代を形づくる三つの文書が、申し合わせたように同じ一年に、それも数カ月のうちに現れた。

歴史にはときおり、こういう符合がある。だがこれは単なる偶然の同居ではない。二冊の本はどちらも、独立宣言が突きつけた問い、すなわち「帝国はなぜ植民地を失うのか」という問いに、事件に先立って答えを書いていた。

ギボンがこの大著を思い立った瞬間については、本人が回想録に書き残している。

1764年10月、ローマを旅していた彼は、カピトリーノの丘の廃墟に腰を下ろしていた。かつてユピテルの神殿があった場所で、裸足の修道士たちが夕べの祈りを唱えるのを聞いたとき、この都の衰亡を書こうという着想が降りてきたのだという。

彼の答えは、今なお新しい。ローマは一撃で滅んだのではない。帝国は自らの過剰な大きさという重みに、内側から少しずつ耐えられなくなっていった。衰亡とは事件ではなく過程である。そして過程であるがゆえに、その内側にいる者の目には映らない。

一方のスミスは、同じ問いを台帳の側から解いた。

『国富論』といえばピン工場の分業や「見えざる手」が引かれるのが常だが、この書物の終盤には、植民地を論じた長大な章がある。そこでスミスは、母国の重商主義的な独占が帝国自身にとって割に合わない事業であることを、費用と便益から冷静に算定してみせた。

植民地が帝国の経費を負担しないのであれば、英国はむしろ自らこれを手放すべきである。大西洋帝国の構想は帝国そのものではなく、帝国という夢にすぎない。そう言い切ってのける経済学者が、開戦の年のロンドンにいたのである。

政治家たちが帝国の威信を語っているときに、帳簿を見よと言った。この胆力には、二百五十年を経ても敬服するほかない。

なお、興味深いことに、この二人は互いを知る仲であった。

ともにロンドンの文人サークル、サミュエル・ジョンソンやエドマンド・バークが設立した「The Club(クラブ)」に名を連ねており、ヨーロッパ随一の都市の、ごく狭い社交の輪の中から、同じ春に、帝国への二つの診断書が生まれた。

ギボンは世紀の単位で帝国の寿命を測り、スミスは収支の単位で帝国の採算を測った。物差しは違えど、結論は響き合う。過剰に広がったものは、その広がり自体によって蝕まれる、と。

ここに一つ、皮肉な暗合がある。

ギボンは執筆のかたわら英国議会に議席を持ち、アメリカ植民地への強硬策を支持する側に票を投じていた。ローマの衰亡をあれほど鮮やかに見通した眼にも、自らが生きる帝国の亀裂は見えなかった。

スミスの帳簿にせよ、閣議を動かすには至らなかった。診断は正しくとも、患者は聞く耳を持たぬのが常である。人間の視力とはそういうものなのだろう。

建国250年のアメリカをめぐっては、今後の行方を論じる声がかまびすしい。私はここでアメリカの衰亡を予言するわけではない。歴史は繰り返さないし、ローマと現代を安易に重ねたいわけでもない。

ただ、韻は踏む。

1776年の二冊が教えてくれるのは予言ではなく、測り方。国家の健康は四半期や選挙の周期ではなく、世紀の単位と、正直な帳簿との両方で測らねば見えてこない。そして最も見えにくいのは、いつの時代も、自分が立っている足元なのだ。

英国で歴史学を学んでいた頃、かの国の書店では、ギボンもスミスも今なお普通の顔をして棚に並んでいることに感心した記憶がある。二百五十年前の書物を現役の同時代人として読み続ける社会は、それだけで一つの見識である。

独立宣言が読み上げられるこの夏、片隅で二冊の頁を繰る。それもまた、250年の祝い方の一つだと思っている。

Cup of coffee with frothy top on wooden table next to grass-fed ghee container and a spoon

「完全無欠ダイエット」とは何か? IT起業家が約5千万円かけて自らの体をハックして生み出した究極の食事法

「完全無欠(Bulletproof)ダイエット」をご存知だろうか。 これは、シリコンバレーのIT起業家であるデイヴ・アスプリー氏が、30万ドル(約5千万円)以上の私財を投じて自身の体を「バイオハック(解析・改良)」して編み出した食事法である。

彼が自分に代わって調査し実験してくれたと考えると、5千万円の価値がある情報だ(笑)

単に痩せるだけでなく、空腹感に悩まされることなく脳のパフォーマンスを最大化することを目的としている。今回は、帯に惹かれて購入した本書を読了。これまでの常識を覆す「完全無欠ダイエット」の4つの基本ルールを整理してみたい。

  1. 朝食を「完全無欠コーヒー」に置き換える

    このダイエットの代名詞とも言えるのが、「完全無欠コーヒー」という名づけられた「バターコーヒー」である。朝食の代わりに、良質なコーヒーにグラスフェッドバター(牧草飼育牛のバター)とMCTオイル(中鎖脂肪酸が凝縮されたオイル)を加えてミキサーで混ぜたものを飲む。これにより、空腹感を抑えるとともに、脳へ素早くエネルギー(ケトン体)が供給され、午前中から高い集中力を発揮できる、と。
     
  2. 質の高い「正しい脂肪」をたっぷり摂る

    従来のダイエットでは「脂質制限」が常識であったが、完全無欠ダイエットでは「1日のカロリーの50〜70%を正しい脂肪から摂る」ことを推奨している。MCTオイルやココナッツオイル、グラスフェッドバターなどの良質な中鎖脂肪酸・短鎖脂肪酸は、クリーンに燃焼するエネルギー源となり、ホルモンバランスの維持や体重減少に役立つ、と。
     
  3. パフォーマンスを下げる「反栄養素(毒素)」を排除する

    頭がぼーっとする、だるいといった不調の根本原因は、体内で起きる「炎症」である。そのため、植物が身を守るために持つ「レクチン」「フィチン酸」「シュウ酸」や、市販のコーヒーや穀物などに付着しがちな「カビ毒(マイコトキシン)」といった反栄養素を避けることを強く推奨している。健康に良いとされる玄米や大豆なども、これらの反栄養素が含まれるため注意が必要とされている、と。
     
  4. 「15〜18時間のプチ断食」と「夜の糖質」

    1日の食事は6〜8時間以内に済ませ、残りの時間は断食状態(ファスティング)にするのが基本である。空腹の時間を長く取ることで、細胞内の老廃物を掃除する「オートファジー(自食作用)」が働き、細胞レベルから体が浄化される。 また、糖質は完全に絶つのではなく、睡眠の質を改善するため「夜のみ」適量(約30g程度)を摂ることが推奨されている。ハイリスクな小麦などを避け、カボチャやサツマイモ、外皮を除去した白米など、クリーンな炭水化物を選ぶのがポイントである、と。

以上、「完全無欠ダイエット」は、カロリー制限や精神論に頼るのではなく、自分自身の体をシステムと捉え、最高のパフォーマンスを引き出すための合理的なライフスタイルとのこと。早速、私は朝食を「完全無欠コーヒー」に変えるところから、スタートし始めた。効果は後日に報告したい。

Woman walking up stairs in a modern train station with escalators and people

習慣化アプリ「みんチャレ」と『自分を変える1つの習慣』で人生を変える方法

習慣化アプリの「みんチャレ」を使い始めてから、私の生活は劇的に変わった。毎日見知らぬ仲間と目標を共有し、励まし合うことで、これまで何度も挫折してきた早起きや運動、読書(積読の消化)といった習慣が驚くほど身につくようになった。

なぜ、「三日坊主」だった私が変われたのか? その根本的な理由を言語化してくれているのが、ロリー・バーデン氏の著書『自分を変える1つの習慣』(原題:TAKE THE STAIRS)。本書は、小手先のテクニックではなく、人間の行動と意志に関する本質を突く隠れた名著だ。

以下、私の体験も交えながら紹介したい。

「エスカレーター」から降り、「階段」を使え

本書のメッセージは極めてシンプル。世界中の95%の人が、街角でエスカレーターと階段が並んでいると、無意識のうちに楽な「エスカレーター」を選んでしまう。これは人生においても同じで、私たちは常に「労力をかけずに望みを叶える近道」を探し求めている。

しかし著者は、「人生の成功を保証する唯一の方法は、昔からまったく変わっていない」と断言する。それは、大切だとわかっているが「したくない」と感じていることを、あえて実行する「セルフ・コントロール(習慣の力)」を身につけること

原題「TAKE THE STAIRS」にあるように、エスカレーターという楽な道を捨て、あえてちょっとキツイが「階段」を選ぶマインドセットこそが、あらゆる成功の土台となると。

痛みを伴う「パラドックスの法則」

私たちは脳の感情や衝動に従い、つい目先の快楽を求めて物事を「先送り」してしまう。しかし、問題を避けて一時的な「楽」を得ることは、長期的には人生に深刻な困難や大きなツケをもたらす。

逆に、目先の欲求に負けず、今ここで我慢することは、将来の「自由」を買うことにつながる。階段を上るという最初は苦しい「小さな選択」の積み重ねが、長期的にはとてつもなく大きな違いを生み出すということだ。

「みんチャレ」が成功する理由

そして、私が「みんチャレ」で生活を変えられた理由のすべてが、第7章「行動」に書かれている。

私たちは「何をすべきか」はすでに知っているにもかかわらず、行動に移せないだけだと。なぜなら、「時間」が経過するとともに私たちの「意欲」は消失してしまうから。

これを打ち破るための解決策として著者が提示しているのが、「目標を『360度』で共有する」こと。自分の目標を周囲の人や仲間に宣言し、見守ってもらうことで「退路を断つ」というわけ。

この点で「みんチャレ」は、この「アカウンタビリティ(責任)」をデジタル上で擬似的に作り出すシステムである。具体的な目標を必ずしも共有していないチームも多いが、チームの仲間に行動を報告しなければならないという「ポジティブなプレッシャー」が、毎日自分のお尻を叩いてくれている、と深く納得。

成功は「借り物」である

最後に印象的な言葉を。

「成功は自分の持ち物にすることはできず、借りることしかできない。その賃貸契約は、毎日更新しなければならない」

「成功は借り物であり、毎日契約を更新しなければならないという考え方をもつことで、あなたの人生には魔法のような変化が起こります」

人生を変えるための「1つの習慣(セルフ・コントロール)」に、これで終わりというゴールはない。今日階段を上ったからといって、明日はエスカレーターに乗っていいわけではない。

しかし、その「毎日家賃を払い続ける(行動する)こと」自体が、やがて爽快感や満足感、そして本物の自信へと変わっていくということ。

「自分を変えたい」と願いながら、つい楽な道を探してしまうすべての人へ。『みんチャレ』と本書は、あなたの「三日坊主」を直し、一生ものの「行動力」を授けてくれる…かも(微笑)

Businessman standing at a muddy fork with wooden signs pointing to success and failure

経営者のための「究極の意思決定」バイブル ― 『インテリジェンス 機密から政策へ』をビジネスでどう読むか

先の読めないVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代において、企業経営者は日々、不完全な情報の中で重大な決断を下すことを迫られている。競合他社の動向、地政学リスク、市場の急激な変化――。溢れかえるデータの海から、いかにして自社の生存と成長を左右する「真実」を見つけ出し、経営判断に結びつけるべきか。

書籍『インテリジェンス 機密から政策へ』は、米国インテリジェンス界の重鎮である著者が、国家の安全保障という「絶対に失敗が許されない究極の意思決定プロセス」を解き明かした標準的教科書である。

一見すると国家間のスパイ活動や外交問題の専門書に思えるかもしれない。しかし、本書の主語である「国家」を「企業」に、「政策決定者」を「経営者・CEO」に、「インテリジェンス機関」を「経営企画・情報分析部門」に置き換えて読んだとき、本書は極めて実践的かつ冷徹な「ビジネス戦略と組織マネジメントの書」へと変貌する。

経営者が本書から汲み取るべき最大の教訓は以下の3点に集約される。

1. 「インフォメーション」と「インテリジェンス」の峻別

経営トップのもとには日々膨大なデータやニュースが届けられる。しかし著者は、世の中のあらゆる事象を指す「インフォメーション(単なる情報)」と、意思決定者のニーズに合わせて収集・処理・分析され絞り込まれた「インテリジェンス」を厳格に区別する。

インテリジェンスとは、経営者を支援するためだけにオーダーメイドで生産される「知的付加価値」である。自社の情報部門が、単なるデータの切り貼り(インフォメーションの受け渡し)に終始していないか、経営判断に直結するインテリジェンスを生み出せているかを問うための強力なリトマス紙となる。

2. 経営者自身の「情報要求」と「フィードバック」の責任

本書が痛烈に指摘するのは、インテリジェンスが機能不全に陥る最大の原因は「情報を提供する側」だけでなく「情報を使う側(経営者)」にもあるという事実だ。経営者が「自社の直面する課題は何か」「どのような情報が欲しいのか(情報要求)」を具体的に現場へ伝達しなければ、分析部門は的を射た情報収集ができない。

また、提出されたレポートに対して「それが経営判断にどう役立ったのか」というフィードバックを怠れば、組織のモチベーションと分析精度はたちまち低下していく。本書は、トップ自身が「良き情報の消費者」にならなければ、組織の情報力は決して育たないという事実を突きつけてくる。

3. 「半透明の薄膜」と不確実性への向き合い方

経営者と情報分析部門の間には、決して越えてはならない境界線がある。著者はこれを「半透明の薄膜」と呼ぶ。経営者は分析部門に要求を出すことができるが、分析部門は客観性を保ち、特定の結論(経営者が喜ぶような耳障りの良い報告)に誘導してはならない。

現場が経営者の顔色を窺い始める「顧客一体化(迎合)」や、組織内に異論を許さない「集団思考」が蔓延したとき、どのような致命的ミスが起こるのか。イラクの大量破壊兵器問題などの国家の失敗例は、そのまま大企業の新規事業やM&Aにおける大失敗の構図と重なる。

さらに本書は、情報には常に「不確実性」が伴うことを前提としている。100%の確証が得られることは稀であり、分析官が示す「確率(〇割のチャンス)」や「兆候」の不完全さを引き受け、最終的なリスクをとって決断を下すことこそが経営者の孤独な責務であることを教えてくれる。

本書は、組織内に散在する知識をいかに統合し、偏見や希望的観測を排して冷徹な現実を直視し、それを次のアクション(戦略)へと変換していくか、その「インテリジェンス・サイクル」を企業内に実装するためのマニュアルである。

自社の意思決定プロセスを一段高い次元に引き上げたいと願う経営トップ、あるいは経営陣を情報の力で支える経営企画・インテリジェンス担当役員(CxO)にとって、これほど重厚で示唆に富む教科書は他にない。知の武装を組織の力に変えるための必読書として、強く推薦したい。

Chessboard featuring a world map with artisanal styled chess pieces

私たちが世界の動向を読み誤る原因は? 超現代史が解き明かす国際紛争の本質

日々飛び込んでくる国際ニュースを見て、「なぜあの国はあんな非合理的な行動をとるのか?」「なぜ紛争は一向に終わらないのか?」と疑問に思うことはないか。私たちが世界の動向を読み誤る原因、それは「現在の表面的な出来事」だけを切り取って見ているからだ。

山中俊之氏の著書『世界のエリートが学んでいる教養としての超現代史』は、そんな私たちの視野狭窄を打ち破り、複雑に絡み合う世界情勢の「本当の姿」を浮かび上がらせてくれる、スリリングで知的な興奮に満ちた一冊。

グローバルビジネスの最前線に立つビジネスパーソンはもちろん、世界の仕組みを根本から理解したいすべての人に、本書を強く推薦したい。


なぜ日本のエリートは世界と話が合わないのか

著者の山中氏は、元外交官(エジプト、イギリス、サウジアラビアなどに赴任)であり、現在はグローバルビジネスのコンサルタントとして活躍する人物。世界108カ国を飛び回ってきた著者は、日本のいわゆる「エリート」と世界のエリートとの間に、歴史や国際情勢に関する教養の「絶望的な差」があることに警鐘を鳴らしている。

西欧の人々が近代史を「自らが主導してきた自分事」として捉えているのに対し、日本人はどうしても他人事として眺めがちだ。また、国際関係の根底にある「宗教(キリスト教やイスラム教など)」への深い理解が決定的に不足していること、そして無意識のうちに「西欧中心の価値観(欧米が正義であるという前提)」に染まっていることが、世界のリアルな力学を見誤らせる原因になっていると指摘する。

本書の最大の魅力:2010年以降の「超現代史」を3つの視点で斬るところ

本書は、世界がこれまでの前提(アメリカ一極集中や冷戦構造)から劇的に変化し始めた「2010年以降」を「超現代史」と定義し、世界をアメリカ、西欧、ロシア、東欧、中国、インド、中東、アフリカ、ラテンアメリカというブロックに分け、それぞれの地域を以下の「3つの層」で立体的に分析している。

  1. 現在(2010年以降の動向): トランプ政権の誕生やウクライナ戦争など、直近のパラダイムシフト
  2. 過去(歴史からの視点): 古代文明や植民地支配の記憶、宗教的背景など、ニュースだけでは見えない「行動原理」
  3. 未来(未来への洞察): 地理・人口動態・資源などを踏まえた、今後の国家の行方

このアプローチにより、表面的なニュースが「点」から「線」へ、そして「面」へと繋がっていく快感を味わえる。

圧倒的なリアリティで描かれる各地域の「行動原理」

本書の白眉は、各国の政治的・経済的な動きの裏にある「歴史的なトラウマ(怨念や屈辱)」や「根源的な恐怖・使命感」を容赦なく暴き出している点。

  • アメリカの分断と使命感: アメリカの「善の押しつけ(過剰な軍事介入)」や極端な社会分断の根底には、建国当初のピューリタンによる「神の国をつくる」というプロテスタント的価値観が深く根付いている。
  • ロシアと中国の「屈辱」: ロシアの強硬な外交姿勢は、防壁のない平原国家ゆえの「他国から侵略される恐怖」から来ている。また中国の強権的な一党独裁体制や周辺国への覇権拡大の原動力は、アヘン戦争以降の列強支配という「屈辱の歴史」を雪ぎ、中華思想(メンツ)を取り戻したいという強烈な執念にある。
  • 西欧の「贖罪意識」と矛盾: 人権や環境政策で世界に厳しいルールを課そうとする西欧のエリートたち。その背景には、古代ギリシア・ローマから続く「ルールの担い手」としての誇りと同時に、植民地支配やホロコーストという負の歴史に対する強烈な「贖罪意識(良心の呵責)」があるという指摘。
  • グローバルサウスの台頭と「反西側」のリアル: アフリカや中東、ラテンアメリカといった新興国が、なぜ欧米の価値観(民主主義など)に反発し、中国やロシアに接近するのか。そこには、不自然な国境線を引かれ、資源を搾取され続けてきた「植民地時代の怨念」が今も生々しく残っている。

「正解のない時代」を生き抜くための実践の書

これからは「国」という狭い単位にとらわれず、大局的な視座を持つことが重要。また、気候変動や人権問題(サプライチェーンにおける強制労働など)はもはや「綺麗事」ではなく、投資家や消費者から企業価値を直接問われる死活問題になっている。世界の歴史と宗教の文脈を知らなければ、ビジネス上の致命的な判断ミスを犯しかねない時代となった。

本書は、単なる歴史の教科書でも、無味乾燥な国際政治の解説書でもない。著者が実際に世界中を歩き、現地の空気を肌で感じ、ビジネスの最前線で直面した「生きた知識」の結晶ともいえる作品だ。

「なぜ世界はこうなっているのか?」

その答えを探求する旅へ、あなたもぜひこの約260ページの本書を片手に出発してほしい。読み終えた後、毎日のニュースの見え方が180度変わるはず。

大阪・関西万博で「クールジャパンアワード2025」表彰式

過日、大阪・関西万博で「クールジャパンアワード2025」表彰式を無事終了。

あらためて、ご来賓の関代議士、溝畑大阪観光局理事長、ご後援いただいた各省庁・関係機関、ご講演いただいた特別顧問のカーさん、ハリスさん、劇団往来さんをはじめとする運営スタッフの皆さん、審査・推薦・キュレーターの皆さん、そして準備に奔走された太田会長、今城さん、小野事務局長、太田統括キュレーター、ジーリ専務理事、田中理事、ローレン理事、貴重な機会をいただいて心よりお礼申し上げます。

46団体の受賞は日本の伝統と革新が見事に融合した証。本当におめでとうございます。多くの受賞者の皆さんが遠路ご参加され、非常に盛会となりました。

大変遅ればせながら、深く御礼申し上げます。今後ともご支援ご協力をお願いします。

郷土に刻まれた司令長官の言葉

先日実家に帰省した際、福井市役所の玄関に二つの巨大な書が掲げられているのに初めて気付いた。

一つは岡田啓介の「恭倹博愛」、もう一つは加藤寛治の「修道保法」。ともに福井市出身、第16代と第17代の連合艦隊司令長官という絶妙な組み合わせ。

ちなみに、「恭倹博愛」とは、人には礼儀正しく、自分は謙虚に質素に振る舞い、すべての人を平等に愛し慈しむこと。「修道保法」とは、道義を正しく身につけ、組織の秩序や規則を保つこと。いずれも組織の長たる要諦か。自身の座右の銘であったに違いない。

知覧特攻平和館の後に訪れたい大野岳

知覧特攻平和館の後には、ぜひ大野岳を勧めたい

標高466メートルの独立峰。車を使って山頂近くまで行けるが、意外と訪れる人は少ない。

山頂に到着すると、そこからの眺望に息を呑む。360度のパノラマビューが広がり、薩摩半島の自然美を一望できる。

開聞岳の雄大な姿、池田湖の美しい水面、東シナ海の広がる青、茶畑や芋畑が織りなす田園風景を見渡すことができる。天候にも恵まれれば、遥か彼方に硫黄島や屋久島も見えるだろう。

特攻機が飛ぶ高さもちょうどこのぐらいではないか・・・どのような想いで向かっていったのだろう。

若い特攻隊員たちが知覧飛行場を飛び立ち、彼らの眼下に同じ風景が広がっていたのだろうと考えると、胸に込み上げるものがあり、静かに手を合わせた。

Laptop screen showing a world map with bright lines representing global data connections.

訪日外国人へのアプローチ法セミナー

「年間3,000万人の潜在顧客を獲得せよ!インバウンド需要獲得から始める多言語EC戦略とAI翻訳」と題してオンラインセミナーに登壇。無料なので良かったら参加ください。

日時:2023年10月19日(木)14:00-15:00

(以下案内文)

訪日インバウンド需要が急増する今、海外への販路拡大を目指す事業者も増加しています。多様な言語と文化が交差する今、新たな顧客層にアプローチするためには、言葉の壁を取り扱うスキルが不可欠です。

年3,000万人といわれる訪日外国人(インバウンド需要)へのアプローチ法を解説し、多言語EC戦略、AIがもたらす翻訳の進化によってビジネスの成長を加速させる方法について、「越境ECの3大障壁とは?!言語・文化を越え売上を拡大グローバル展開戦略とAI革命」と題して、CRM一体型ECカートシステムを提供する「エートゥジェイ」と10月19日(木)14:00~15:00にオンラインセミナーを開催します。

詳しい案内・申込は以下からどうぞ。
https://mercart.jp/seminar/detail/wipgroup

日本産水産物輸入の全面停止

日本産水産物輸入の全面停止。「海洋が汚染される」というからには、今後、中国の人たちは海産物を食べなくなり、中国の漁船は日本近海はもちろん太平洋全体に行けなくなる。すると同国の漁業関係者や海産物を扱う業者や飲食関係者も大変困るだろうに・・・

売れなくて行き場のない日本の水産物は干物にしよう。今後、日本人がさらに魚を食べることで日本の漁業を応援できるし健康にも役立つはず w

世界レベルの偉人・伊能忠敬

伊能忠敬が19歳年下の先生に仕えたのが50歳の時。そして天文学と測量を学び、54歳から17年かけて4万キロ歩いて日本全国を測量した彼の人生は、日本の(世界の)中年層を奮い起こしてくれる偉大な人生だと改めて思う。

そんな彼の生家と街を訪問したくて過日、香取市佐原に立ち寄った。彼は自分の歩幅を基に測量し日本地図を描いた。その歩幅はこの橋を渡るのに13歩だったらしい。

そこで私も普通に渡ったら、同じく13歩!ワオ! 時を超えて彼と同じ(笑)

同じぐらいの年、というか、当時の寿命は60歳程度であることを考えると、もっともっと頑張れよ、って言われた気がした(笑)

1ユーロ=1ドル!?

大変なレベルになっている。ロシアの天然ガスパイプライン(ドイツ向け)が「定期点検」を理由にストップ。点検が終わる予定は7月21日。それ以降も止まると、お金をもらえなくなるロシアも困るが、ドイツが大変なことになり、ドイツ経由でフランスも困ってしまう。点検終了予定日の翌日・7月22日、欧州が騒然となるかもしれない。