熊本で、老人ホームが断水のために給食を作れず、弁当でしのいでいると報じられていた。地震から一週間が経とうとしている。
私に断水の記憶はほとんどない。あるとすれば、冬の朝に水道管が凍って水が出なくなった、その程度のこと。蛇口をひねっても何も出てこない。しばらくすると親が湯をかけたか、日が高くなったかで、また出るようになる。半日にも満たない不便。それを断水の記憶と呼ぶのは、被災地の方々に申し訳ない気がする。
つまり私は、水に本当に困ったことがない。おそらく大多数の日本人がそうだろう。
日本語には「湯水のごとく使う」という言い方がある。惜しげもなく浪費するという意味だ。この比喩が成り立つのは、湯と水がふんだんにある国だったからにほかならない。世界には、この言葉が意味をなさない土地がいくらでもある。
蛇口をひねれば水が出る。この一事のために、実はどれほどの技術と労力と歳月が積み上げられてきたか。当たり前になったものほど、その内訳とありがたみは見えなくなる、と改めて思う。
猛暑・酷暑の中、水のない日を迎えている方々のことを思う。一日も早い復旧を願うばかりである。
