八月に入ると、日本人には三つの日付が近づいてくる。六日、九日、そして十五日。
不思議なのは、この三日が今も日付のみで記憶されていること。多くの歴史的事件は、やがて年号だけが残り、日付は薄れていく。関ヶ原が九月十五日だったと即答できる人は少ない。
だがこの三日は違う。八月六日と言われて、何の日か分からない日本人はまだ少ないだろう。
日付が残るのは、その日が毎年めぐってくるから。年に一度、同じ暑さと同じ蝉の声の中で、日本人はその日を通過する。
一方で、その日を知る人は、年々少なくなっていく。体験は必ず途絶えるから。
今年もまた、あの三日が来る。空を見上げて思いを馳せる時間を、少しだけ取りたい。
