長期金利が三パーセントを超えた。三十年ぶりだという。
三十年である。いま三十代の人は、金利のある世界を知らずに大人になったことになる。私が銀行員だった時代は、定期預金に預けると年7-8%ぐらい金利がついた。つまり1億円預金すると利子が年間7-8百万円になった。
金利とは、要するに時間の値段。いま百万円を受け取るのと、一年後に受け取るのとでは価値が違う。お金を貸す人が一年返済を待つことへの対価である。
面白いのは、この「待ち時間に値段をつける」という発想が、長く罪とされてきたことである。中世のヨーロッパでは利子を取ることが教会に禁じられていた。時間は神のものであり、万人に等しく与えられたものを切り売りするのは盗みに等しい、という理屈である。
だから金貸しは卑しい商売とされた。シェイクスピアがシャイロックを書いた背景には、この考えがある。
だが、金利のない世界は、貸す者のいない世界でもある。何の見返りもなく金を貸す者はいない。
そして時間が無価値な世界では、待っても得をしない。金利がゼロなら、いま使っても一年後に使っても同じである。逆に借りる側も、利息がつかないなら急いで返す必要がない。早く動く理由も、じっと待つ理由も、どちらも消えてしまう。
この三十年、日本人がどこか焦らずに過ごしてきたことと、金利がなかったことは、案外つながっているのかもしれない。
金利が上がれば、預けている人には利息が入り、借りている人は返済が重くなる。住宅ローンを抱える人には、間違いなく厳しい話である。それは分かっている。ただ、動くことにも待つことにも意味が戻ってきたということでもある。
悪い話ばかりではないと、そう考えることにしたい。
