今日はわが母校・福井県立藤島高校の関東在住卒業生の会(東京明新会)総会が行われる。約240名参加。
代表幹事として1年間準備してきた。ホント同期の皆が一生懸命手伝ってくれた。長かったような短かったような・・・。
同期の皆と昔の学校祭のノリで楽しかったー!今日は盛会に終わりますように。
今日はわが母校・福井県立藤島高校の関東在住卒業生の会(東京明新会)総会が行われる。約240名参加。
代表幹事として1年間準備してきた。ホント同期の皆が一生懸命手伝ってくれた。長かったような短かったような・・・。
同期の皆と昔の学校祭のノリで楽しかったー!今日は盛会に終わりますように。
昨日は藤島高校59年卒同窓会。100名ぐらい集まって、一次会はアオッサ・ナナイロ、二次会は繊協ビル8F、3次会はメトロビル・樽へ。
懐かしい面々とあっという間の10時間でした!(笑) 福井の幹事の皆さん、本当に感謝です!
今日は幕末の橋本左内先生のご逝去日。毎年10月7日には、現在でも左内公園(福井市左内町)で多くの市民が参列して墓前祭が行われています。
私が幼い頃この左内公園そばの西光寺保育所に通っていたこと、橋本先生の恩師でもあり福井随一の儒学者・吉田東篁先生の墓に私の先祖の墓が近いこと、事業を始めたのが橋本先生の学んだ大阪・適塾近くということもあり、私にとって橋本左内先生は特別な偉人になっています。
さて、改めて、幕末好きの方には釈迦に説法かと思いますが、橋本左内先生とは安政の大獄(1859年)で刑死した越前藩の志士です。
日英同盟、国際連盟設立の50~60年前に、「いずれ世界には国際連盟のようなものができる。その中心になるのは英か露。厳しい国際社会を日本が生き抜くには、開国をして、どちらかの国といずれ同盟を結ばねばならない」という当時としては卓越した見識の下、松平春嶽公とともに開国に向けて駆け抜けた生涯でした。
西郷隆盛をして7歳年下の先生を「友として最も尊敬する」と言わしめ、緒方洪庵をして「橋本はいつかわが適塾の名前を高めるであろう」と絶賛、川路聖謨をして「一生の間多くの人に会ったが、これほど優れた人物はまだ見たことがない」、水野筑前守をして「橋本左内を殺したことで、幕府は滅んだのだ」と言わしめた幕末の横綱級ヒーローだと思っています(笑)。
今日は、先生が少年の頃に書き留めた「啓発録」をお薦めします。
内容は
・「幼稚な心を捨てる」
・「気を奮い起こす」
・「志を立てる」
・「優れた人々の善事善行にならう」
・「友達をえらぶ」
の五か条からなっていて、少年の気高い志を感じます。
さらに、「学」の本当の意味とは、家庭や学校や職場で、周囲の人々に真心と愛情をもって付き合い、自分のしなければならない仕事には誠実に立ち向かって、全力を尽くす気構えを持つことだと。
はたして私はできているだろうか・・・命日を迎え、改めて先生の純真な志を刻んでおきたいと思います。
福井の実家近くに永平寺(えいへいじ)という禅寺がある。曹洞宗大本山で開祖が道元(どうげん)。故事によると道元には義介(ぎかい)と懐奨(えじょう)という弟子がおり、義介が後継者として有力視されていたが、道元は懐奨に後を継がせた。その理由について「義介は頭がよいが、老婆心が足りない」と語ったという。
このエピソードを読んで以来、「老婆心」という言葉が頭の片隅にずっと残っている。
老婆心とは、老婆が必要以上にいろいろと気を回すことから転じて相手のことをあれこれと細かく気にかけること。ビジネスでも、遠慮して、時には面倒がって、共有していると思いこんでいることを言わずにいることで、行き違いが生じることがある。
「ひょっとして」相手がこんなことで勘違いしないか、困らないか、ということに思いを巡らし、失礼かもしれないがあえて念押ししたり、確認をとったりすることに躊躇しないことが大切だ。
仕事を円滑に進めるために老婆心が足りているかどうか。いつも頭の片隅に置いておきたいと思う。