最近良く売れているらしい。同書を書いた小池龍之介さん曰く、
人はなぜ信じ、修行するのか。自分について言えば、外的な要因で自分の心が右往左往させられない状態になりたかった。自由を確保したいということです。
何かを言われたり、見たり、感じたりするたびに快楽や不快が生じて、その快楽を追いかけていく。
不快なことから逃げ出そうとしたり、引きずり回されるというのが、とても苦しかった。だから、そうした自分の心の癖のようなものを見つめて、矯正していく。
その方法を自分は仏教に見出している。それ以上の価値は、仏教に求めてはいません。
「自由」とは、ジョン・スチュアート・ミルの「Liberty」の訳語ですが、仏教用語から採られたと聞いたことがあります。意味は自ら(おのずから・みずから)に由る。由には出るという意味があります。
フリーダムは拘束や束縛や義務がない状態のこと、リバティはもっと積極的に自らの思想や行動や選択していく状態のこと。本来の状態にあること。あるべき状態・行くべき方向に出て行くこと。
外的要因で常に心が上下するのを何とかできないものだろうか・・と20代の頃から思うようになり、私は特に禅に興味を持ちました。