自分の弱さと向き合い続けた青年の記録

アウグスティヌス(354年 – 430年)は、古代ローマ末期の北アフリカに生まれた思想家である。異教徒の父と、熱心なキリスト教徒の母の間に生まれ、若き日は弁論術を学びながら、かなり奔放な生活を送っていた。その過程で「マニ教」に入信するなど、思想的にも人生的にも迷い続けた人物である。

そんな彼が最終的にキリスト教の司教となり、西洋思想に大きな影響を与える存在になるまでの葛藤をつづったのが『告白』である。

本書を読み、最も印象に残ったのは、この本がいわゆる「完成された聖人の立派な物語」などではないということ。むしろ、「なぜ自分はこんなに弱いのか」「なぜわかっているのに正しく生きられないのか」という自己矛盾と戦う、一人の青年の生々しいドキュメンタリーであったということ。

若い頃の彼がマニ教に惹かれたのは、「世界は光と闇の戦いであり、自分の失敗は闇の力のせいだ」と責任を外部に転嫁できたからではないか。しかし彼は、そうしたわかりやすい答えに満足できなかった。

やがて「悪とは何か」という問いに対して、悪とは実体として存在するのではなく、「善が欠けている状態」に過ぎないという考えに辿り着く。そして、献身的な母の影響を受けながら、最終的にはキリスト教の信仰へと向かっていく。

「反省」が「感謝」に変わる

タイトルの『告白(Confessiones)』という言葉には二重の意味がある。「懺悔」と「(愛の)告白」だ。彼は単に過去の過ちを振り返りながら、ただ後悔し反省しているわけではない。「自分の意志さえ思い通りにできない弱い自分が、それでも何かの大きな力に支えられ、ここまで導かれてきた」ということに、深い感謝と神への愛を見出していた。この「弱さの肯定」こそが、本書の核心だと思う。

晩年の彼は、永遠の都と呼ばれたローマが異民族に襲われるという、まさに「文明の崩壊」を目の当たりにする。その中で提示された『神の国』という考え方は、目に見える国家や組織が壊れたとしても、自分が何を愛し、何を信じるかという軸さえあれば、人は絶望せずに生きていける、というメッセージにも読める。

1600年も前の本でありながら、そこにある問いは驚くほど現代的である。

「自分は何者なのか」
「どうすれば正しく生きられるのか」
「なぜ分かっているのに、思うように生きられないのか」


そうした問いに対して、彼はきれいごとではなく、泥臭く悩みに悩み抜いた。そして、ようやく自分なりの「納得」にたどり着こうとした。

『告白』は、偉大な聖職者の難しい本というより、自分の弱さや矛盾に真剣に向き合った、一人の青年のドキュメンタリーとして読むと、とても面白い本である。

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