Bamboo tree decorated with colorful wish tags under a starry night sky with the Milky Way visible

天の川が見えない現代の七夕

七夕が過ぎた。商店街の軒先に立っていた笹が片付けられ、色とりどりの短冊も、子どもの文字で「サッカーせんしゅになれますように」と揺れていたあの願いごとも、この夏の記憶の奥へ仕舞われていく。

ふと考える。この祭りの主役であるはずの天の川を、七日の夜、見上げた人がどれほどいただろうか。そもそも私たちは、天の川を最後にいつ見ただろうか。

万葉の人々は、見ていた。万葉集には七夕を詠んだ歌が百三十首余りあるとされ、一つの主題としては異例の厚みである。柿本人麻呂歌集には、こんな歌がある。

 天の川 楫(かじ)の音聞こゆ 彦星と 織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふらしも

天の川から舟を漕ぐ楫の音が聞こえてくる、彦星が織女に逢いに渡っているらしい、という歌だ。注意したいのは、これが机上の空想ではないこと。歌人たちは実際に夜空を仰ぎ、白くけぶる光の帯を見て、そこに川の水音や楫の音まで聴き取っていた。彦星と織女の物語は、確かに空に実在していたのである。

その七夕が、少しずつ空を失っていく。

最初の切断は、明治六年の改暦であった。七夕は本来、旧暦七月七日の行事である。旧暦のその夜は晴天率の高い盛夏にあたり、宵のうちに月が沈んで、天の川が最もよく見える頃合いだったとされる。星の祭りは、星の見える夜に置かれていた。

ところが新暦への移し替えによって、七夕は梅雨のただ中の行事となった。星の祭りが、雨の季節に固定されてしまった。

制度は暦を近代化したが、その代償として、行事と空とが切り離された。国立天文台が旧暦に準じた「伝統的七夕」の日を毎年八月に報じているのは、このねじれへのささやかな異議申し立てなのだろう。

二度目の切断は、もっと静かに進んだ。光害である。

2016年に国際研究チームが発表した調査によれば、天の川が見えなくなるほど明るい夜空の下に暮らす人は世界人口の三分の一を超え、日本では人口のじつに七割に上るという。ほぼすべての日本人が、自然の状態より明るい夜を過ごしている。晴れていても、もう見えないのだ。

改暦が「日付」を空から切り離し、電灯の光が「場所」を空から切り離した。七夕は二度、空を失ったということか。笹飾りは今も揺れている。けれどその真上に、川はもう流れていない。

研究チームの一員は、光害の本当の損失は天体観測への支障ではなく、星空を眺めて思索する機会が人から奪われることだ、という趣旨を述べていた。粋なコメントでその通りだと思う。

失われたのは天の川という風景である以上に、見上げるという姿勢、仰ぎ見ながら何かを思う、その時間なのだ。うつむいてスマホの画面を繰る現代人の姿勢とは真逆といえる。

それでも、川は消えたわけではない。街の光が届かない場所へ行けば、天の川は千年前と同じ顔で流れている。いつだったか、太平洋の島で夜、何気なく顔を上げた瞬間のことを覚えている。空の真ん中に、白い帯が音もなく横たわっていた。ああ、これを万葉の人は毎晩見ていたのかと思ったら、千年前の歌が急に、比喩ではなく見た通りの写生だったのかと気づいた。

今年の七夕は、もう過ぎてしまった。だが幸いなことに、本当の七夕はまだ先である。

旧暦に従えば、牽牛と織女の逢瀬の夜は八月に巡ってくる。今年は八月十九日。梅雨も明け、宵に月が沈み、天の川が最もよく見える、古人が祭りを置いたその夜に。短冊はもう仕舞われたが、願いごとを一つ残してはどうか。

その晩は、どこか暗い空の下から見上げられますように。