全英オープンの季節がやって来た ヤァ!ヤァ!ヤァ!

ゴルフ好きにはたまらない、全英オープンの季節がやって来た。今年は7/16~19、第154回、舞台はイングランド北西部サウスポートのロイヤル・バークデール。9年ぶりの開催と聞く。私にとってひそかな夏の楽しみ。

全英オープンには、海辺のリンクスコースでしか開催しないという不文律がある。

リンクスとは本来、海と耕地とを「つなぐ」土地のこと。海から吹き上げられた砂が堆積してできた砂丘地帯で、農耕には痩せすぎ、羊を放つほかに使い道のなかった土地である。そんなデコボコの窪みだらけ茂みだらけの荒地で、羊飼いの人たちがその間を縫うように球を打つ遊びを見つけた。

つまり、リンクスは、設計された「ゴルフ場」ではない。発見された「ゴルフ場」というわけだ。

ゴルフ場を「造る」のが当たり前になった現代から見れば、これは驚くべきこと。最古のコースたちは、大地の側が先に用意して発見されるのを待っていた。

リンクスは理不尽である。

フェアウェイのど真ん中に打った球が、見えない起伏に蹴られて壺のようなバンカーに消える。午前の組が微風の下を進み、午後の組が横殴りの雨に叩かれる。同じ一日のうちに、条件の平等など全く存在しない。

現代のトーナメントコースが水を撒き、芝を刈り込み、公平性を精密に設計するのとは正反対に、リンクスは公平であることを最初から約束していない。

あるがままに打て。

ゴルフの最も古い戒律は、球についてだけでなく、天候や運についても言っている。

選手たちの戦い方も、リンクスでは変わる。空中を正確に飛ばす近代の打ち方では風に翻弄されるので、地面を転がす古い技術が蘇る。風に逆らわず、風を計算に入れる。それでも最後は運に身を任せ頭を下げる。

バークデールには、1961年大会でアーノルド・パーマーが茂みから放った一打を記念する銘板が残されているらしい。神業の記念碑ではあるが、裏を返せば、帝王をして茂みに打ち込ませる土地だということでもある。

英国に暮らした頃、この国の人々が天気に対して持つ、独特の諦めの明るさに感心したことがある。傘を持たずに雨に降られても、まあこういう国だから、と笑って歩き続ける。文句を言っても空は変わらないという千年来の学習が、国民性にまで染み込んでいるのだろう。

その意味で、リンクスのゴルフは、英国精神の競技版だと思う。

制御できるもの(自分のスイング、クラブの選択、心の平静)に全力を尽くし、制御できないもの(風、雨、跳ね方)は淡々と受け入れる。ストア派の哲人が説いたことと、スコットランドの羊飼いが遊びの中で見つけたことは、存外に同じなのである。

思えば、私の仕事も人生も、リンクスのようなものだ。

丹精込めた一打が思わぬ突風に流される。逆に、OBだと思った一打が岩にあたってフェアウェイに戻される。だからこそ、あの大会を見るのだろう。理不尽な風の中で、誰も天を呪わず、黙々と次の一打の算段をするのみ。

今週末はバークデールの風を画面越しに浴びようと思う。できれば少し、強めに吹いてほしい。

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