十月十日、泉州の二つの町で、だんじりが相次いで横転した。二人の男性が亡くなり、十七人が傷を負った。亡くなったお二人に哀悼の意を表したい。
こうした事故のたびに、同じ声が上がる。人が死ぬような祭りを、なぜ続けるのか。
もっともな問いである。軽く退けてよいものではない。
だが、だんじりは見世物ではない。一年かけて準備をし、子どもは綱を曳き、若者は梃子を握り、年寄りは采配を振る。町会ごとの縦の繋がりが、この数日のために一年じゅう保たれている。祭りが消えれば、消えるのは数日の行事ではなく、その一年の営みであり、世代を超えて人が顔を合わせる理由そのものだ。
亡くなった方々も、その輪の中にいた人たちである。好きで、誇りを持って、あの場所に乗っていたのだろう。祭りをやめることが、その人たちへの弔いになるとは、私には思えない。
ただし、続けることは、何も変えないことではない。
今回の二件は、いずれも交差点で右折した際に起き、亡くなったのはどちらも側面に乗る重り役だった。教訓は具体的。どこで、誰が、どう危ないのか。それが分かっているなら、手を打てるはず。
以前、祇園祭について書いたとき、長く続く祭りは器を保ったまま中身を入れ替えてきた、と述べた。だんじりも同じだと思う。勢いと誇りという器は守る。そのうえで、乗り方、曲がり方、人の配置は、時代に合わせて少しずつ変えていけばいい。
祭りを守ることと、人の命を守ることは、どちらかを選ぶものではない。二つを同時に背負うことが、これから祭りを曳く人たちの務めなのだと思う。
来年も、だんじりは曳かれるはず。弔いのためにも。その綱を曳く人と一緒に、今年亡くなられたお二人もきっと曳いているはず。
