高千穂に行った。今も夜神楽が伝わっている。私が鑑賞したのは1時間のダイジェスト版だったが、本来は晩秋から冬にかけて、集落ごとに一晩中舞い続けるそうだ。
最も日の短い季節に、人々が集まって夜通し騒ぐ。あれは神話の再演であると同時に、闇が一番深い時期を笑って越えるための、実用的な工夫でもあったのだろう。
翌日、天岩戸神社に立ち寄った。天照大神が隠れ、世界が闇に包まれた、と伝えられている岩屋があった。その昔、困り果てた八百万の神々が、岩戸の前に集まって相談した。そこで彼らは何をしたか。
祈らなかった。嘆願もしなかった。
前日に観た通り、彼らは岩戸の前で宴を開いた。桶を踏み鳴らして舞い、神々はどっと笑った。その笑い声があまりに賑やかだったので、何事かと思った天照大神が岩戸を少し開けた。そこを引き出されて、世界に光が戻った。
よくできた話だと思う。
闇に対する答えが、祈願ではなく宴。深刻に願うのではなく、外で派手に楽しんでみせる。暗いところにいる者を引き出すのは、正論でも説得でもなく、こちらが楽しそうにしていることだという。
秋分を過ぎれば、夜は日ごとに長くなる。気分も、なんとなく沈む季節に入るが、この国で最も古い物語が示した処方は、耐えることでも祈ることでもなく、外で笑うことだった。