10月9日、ノルウェーのノーベル委員会は、今年の平和賞を南アフリカ出身の法律家ナビ・ピレイ氏に贈ると発表した。国際刑事裁判所(ICC)の元判事であり、国連人権高等弁務官も務めた人物である。授賞理由は、平和と国際法を守るための貢献だった。
その同じ日、米国はICCそのものを制裁の対象に指定した。
委員長は、法の支配に甚大な圧力が加わっていると述べ、それを擁護する個人や団体への攻撃や制裁はやめるべきだと訴えた。確かに、正義はICCにあるように単純に見える。だが、後述するように、立場が変わると主張が変わる。
情報を扱う立場から見て重要なのは、それよりもう少し実務的な問いである。
国際機関そのものが制裁を受けるとは、具体的に何を意味するのか
まず、双方の言い分を整理しておく。
米国はICCの加盟国ではない。自国民や同盟国の国民が、自らが合意していない国際法廷で裁かれることに、一貫して反対してきた。ICCは2024年に非加盟国イスラエルの首相に逮捕状を出しており、米国の目には、主権への越権と映っている。
一方のICCは、戦争犯罪や集団殺害を裁く常設の国際法廷として、加盟120カ国余りの合意の上に成り立っている。大国の都合で裁きが左右されるなら、法廷の意味がない、というのがその立場である。
ただ、ICCの側にも、無視できない批判がある。二重基準だ。
イスラエルの首相とロシアの大統領には逮捕状を出しながら、中国によるチベットやウイグルでの人権侵害にも、イランによる抗議者への弾圧にも、何の手も打てていない。
なお、パレスチナをめぐっては、ICCはイスラエル側だけを狙ったわけではない。ネタニヤフ首相らと同時に、ハマスの軍事部門トップにも逮捕状を出している。他の指導者二人についても請求したが、殺害されたため取り下げられた。ICCは、双方を同時に対象にしたことで、イスラエルからもハマスからも反発を受けた。
問題は、手が届く国と届かない国があるという点。そしてそれは、裁判官の偏りというより、ICCの制度の限界である。ICCが裁けるのは、原則として加盟国の領域で起きた犯罪に限られる。
プーチン大統領の場合は戦場となったウクライナが、ネタニヤフ首相の場合はパレスチナが、ICCの管轄を受け入れていた。中国もイランも加盟しておらず、ウイグルでの行為も、イランでの弾圧も、それぞれの国内で起きている。
実際、ウイグルの亡命団体が訴えを起こした際も、検察局によって、中国は非加盟国なので「管轄がない」として退けられた。国連安保理を通じて事件を付託する道もあるが、中国は安保理で拒否権を持ち、イランもロシアや中国の後ろ盾を得ている。
つまり、法の外に立ってしまえば、その国は裁かれない。加盟しない国、拒否権に守られた国は、構造的に法廷の手の届かない場所にいる。米国もイスラエルも中国もロシアもイランも、ICCには加盟していない。
二重基準の正体は、法廷の偏りではなく、大国が自らを例外にできる国際秩序そのものにある。
付け加えれば、ICCに圧力をかけているのは米国だけではない。ICCがプーチン大統領に逮捕状を出して以来、ロシアは報復として裁判官らを指名手配し、今月には所長の赤根智子氏らの身柄引き渡しをオランダなどに求めた。東西の大国から同時に狙われている裁判所、その長が、現在日本人というわけである。
制裁は、取引先にも及ぶ
経営の観点から注目すべきは、制裁が「組織」に科されたという点である。
これまでの制裁は、主に検察官や裁判官など個人が対象だった。それでも影響は小さくなかった。2025年には、制裁を受けた検察官のメールアカウントが、米国の大手IT企業によって停止されたと報じられている。法廷の業務が、民間企業のサービスに支えられていることが露わになった一件だった。
組織そのものが制裁対象になれば、影響はさらに広がる。
銀行は送金を扱えるか。クラウドやソフトウェアの提供は続けられるか。ICCに物品やサービスを納める企業は、米国の制裁に抵触しないか。国際機関の運営は、無数の民間企業との取引の上に成り立っている。その一つひとつが、判断を迫られることになる。
これは遠い話ではない。日本はICCの財政を支える最大級の拠出国とされ、日本企業がICCや関係機関と何らかの取引を持っている可能性もある。米国の制裁は、米国と取引のある外国企業にも事実上の影響を及ぼす。日米同盟とICC支持という、日本の二つの方針の間に、日本企業が立たされる場面が出てきてもおかしくない。
企業担当者は、何を観測すべきか
当面、次の点を見ておきたい。
第一に、制裁の具体的な範囲である。米財務省の発表で、どの取引が禁止され、第三国の企業にどこまで及ぶのか。米国の制裁は見出しより、細則が重要である。
第二に、欧州の対応である。ICCの所在地オランダを含むEUが、自国企業を米国の制裁から守るための措置に動くかどうか。動けば、企業は米国とEUの板挟みになる。
第三に、日本政府の反応である。ICCの最大の支援国の一つとして、同盟国・米国にどう向き合うのか。曖昧な沈黙を続けるのか、明確な立場を示すのか。
第四に、ICCからの離脱の動きである。すでにハンガリーが脱退を表明している。追随する国が出れば、法廷の正統性そのものが揺らぐ。
ノーベル平和賞は象徴。制裁は実務。10月9日は、その二つが同時に起きた日となった。