沈みかけた船から乗客を海に飛び込ませる、という古い民族ジョークがある。アメリカ人には「飛び込めば英雄になれます」、イギリス人には「紳士なら飛び込みます」、ドイツ人には「飛び込むのがルールです」。そしてフランス人には、「絶対に飛び込まないでください」、と。
言われたことの逆をやる国民、というわけである。そのフランスで、いま人々が街を埋めている。報道によれば、デモは55万人規模に膨らみ、地方の市庁舎にまで火が放たれた。
発端は身近な不満だった。九月の新学期、パリ郊外の高校で「何ヶ月も数学や主要科目の先生が来ない」「自習ばかりになる」「1クラス35人に対して椅子が25脚しかなく立ちっぱなしで授業を受ける」「エアコンや暖房がないプレハブ校舎」「トイレがずっと壊れたまま、紙もない」といった、予算削減による劣悪な教育環境に対し、高校生たちが学校を封鎖し、それが全国に広がった。
一方で、学校現場の荒れ、SNSを介した生徒からの暴力、教師へのリスペクト低下など、過酷な割に給料が見合わないと教職を敬遠する人や中途離職する人が増加している。
そこへ、2018年に燃料税の値上げから始まった「黄色いベスト」運動が、物価高への怒りを掲げて合流して戻ってきた。教室の空席と、暮らしの苦しさ。二つの怒りが、街頭で合流したのである。
市庁舎が燃える光景に、フランス革命を思い浮かべる人もいるだろう。実際、1871年のパリ・コミューンでは、パリ市庁舎が炎に包まれた。権力の象徴に火を放つという行為は、この国の歴史に何度も現れる。
注目したいのは、火が付いた場所。抗議は、貧困層の多い郊外の学校から始まった。先生が来ないのは、たいてい恵まれない地区の学校だ。郊外には移民系の住民も多く、その怒りが重なっていないとは言い切れない。
地域教育の荒廃も、物価高の重さも、持たざる者ほど強く感じる。これは結局、持てる者への、持たざる者の怒りなのだろう。
暴力は肯定できない。手首を失った少年もいれば、負傷した警官もいる。それでも、十代が教室の惨状に声を上げ、大人がそれに並んで歩く光景には、過激ではあるものの、この国独特の民主主義の表現を感じる。
飛び込むなと言われても、飛び込む。黙っていろと言われても、黙らない。それがフランスなのだろう。